台湾で“神”となった日本軍人・杉浦茂峰が残してくれたもの

 

ツライ時があれば一緒に悲しんで、めでたいことがあると共に祝うのがいまの日本と台湾の関係だ。

少年ジャンプ的に「強敵」と書いて「とも」と読むように、日台関係と書いて「こころのとも」や「しんのとも」と読むことはすでに広く知られている。(たぶんメイビー)
つい先日も岸田政権が誕生すると、台湾の蔡総統は日本語で「おめでとうメッセージ」をおくってくれて、日本人からも「ありがとう返し」のコメントが殺到した。
こういうやり取りが何度も何度もあって、いまの鉄壁不動の日台関係が出来上がった。

 

 

台湾のグルメ、おもしろスポットといった観光情報のほか、日本統治時代の建物など台湾に残る日本の面影をSNSで紹介している Hsu Hsu さんが先日こんな投稿をしてた。

「昨日は神様となって、地元の台湾台南市の皆さんに祀られている【飛虎将軍】と呼ばれた元*大日本帝国海軍航空隊3等飛行兵曹の杉浦茂峰さんの御命日で、用事があった自分は昨日お参りに来られなくて、今夜時間を作って、参りました。」

旧日本軍の軍人・杉浦茂峰(すぎうら しげみね)は台湾で地元の人から「飛虎将軍」という神として、日本でいえば神社のような「廟」で祀られているのだ。
その「飛虎将軍廟(ひこしょうぐんびょう)」のホームページを見ると、

「台湾の台南市で日本軍人が神として祀られているのはご存知でしょうか。」
「台南市にある民間信仰の廟で日本軍人が神として祀られています。」

とある。
日清戦争の勝利によって1895年に中国から割譲された台湾を、1945年に太平洋戦争が終わるまで日本が統治していたことは、学校の歴史の授業でならうから知ってる人も多いはず。
でも、いまの日本・台湾の友好のかけ橋となっている杉浦茂峰を知っている日本人は、残念無念ながら本当に少ない。

 

飛虎将軍廟の外観

画像:茶葉蛋

 

この3体の神像はすべて杉浦茂峰の像
真ん中は常にここにあって、両サイドの2体は信者から要望があると貸し出される。

画像:Kamakura

 

茨城県水戸市の出身で日本軍のパイロットだった杉浦茂峰は、台湾沖航空戦で米軍機と交戦し撃墜される。
それだけなら「神」になることはなかった。

自身が乗っている飛行機が村に向かって落ちていくと、杉浦は必至に操縦かんを握ってなんとか村を避けて墜落するも、自分の命は失ってしまう。
それは1944年10月12日のことで、杉浦はまだ21歳だった。

「杉浦は命と引き換えに自分たちを守ってくれた」と考えた村人は、鎮魂と感謝の意を込めて1971年に「飛虎将軍廟」を建て、それ以来、現在までこの廟で線香の煙が絶えることはない。
廟のホームページには「この地方の守り神となっており、多くの台湾人・日本人が訪れている」とある。
*「飛虎」は戦闘機で「将軍」は杉浦への敬称。

地元の人たちが大事に守ってきてくれたことで、杉浦茂峰は数十年ぶりに故郷へ戻ってくることができた。
これが横にあった2体のうちの1体だろう。

 

 

こうした民間交流が日台友好に与える影響は地味にデカい。
「飛虎将軍廟」で神として祀り、いまも杉浦茂峰に鎮魂と感謝の気持ちを持ちつづけている台湾の人たちには、日本人も「ありがとう」と言う必要がある。
21歳でこの世を去った杉浦茂峰が残してくれたものは、台湾人よりも日本人が大事にしないといけないと思うのですよ。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。