チョットまえに、SNSである台湾人がこんな投稿をした。
故總統蔣中正為感謝日本陸軍中將根本博,協助打贏古寧頭大捷,1952年特贈珍貴花瓶中的一支,「代表你和我永遠在一起」。
故・蔣介石総統は1952年、日本陸軍中将の根本博に大勝利のお礼として、「あなたと私が永遠に一緒であること」を表す貴重な花瓶を贈ったという。
なるほど、イイハナシダ。
でもいまの日本でこの根本 博(ねもと ひろし:1891年 – 1966年)という、台湾を救った“英雄”を知ってる人はほとんどいなさそう。
「日台関係」と書いて「とも」と読むほど、深いつながりのある日本と台湾。
その友好を維持・発展させるためにも、日本人なら根本博を忘れてはいけない。
根本 博
1945年8月、日本がアメリカに降伏したとき、中国・内モンゴルで軍の司令官をしていた根本は重大な立場に立たされた。
日本が敗北を発表しても、それでも侵攻を続けるソ連軍は、多くの日本人を殺害しながら南下してくる。
対して根本は、「侵入するソ軍は断乎之を撃滅すべし。これに対する責任は一切司令官(である自分)が負う」と、日本軍守備隊に命令をくだす。
白兵戦を含めた日本軍の必死の反撃によって、ソビエト軍は戦意を喪失して侵攻が止まり、根本は張家口のあたりにいた4万人の日本人の命を救った。
彼の次のミッションは、中国にいる日本人を無事に本国へ戻すこと。
このとき蔣介石が協力してくれて、本来なら軍隊の輸送を最優先するところなのに、日本人を運ぶために鉄道路線を割り当ててくれたおかげで、彼らは日本へ帰ることができた。
これがうまくいったことで、いま日本で生きている人は万単位でいるはず。
根本に救われた日本人はとんでもなくラッキーで、満州(中国東北部)にいた多くの日本人はソ連軍に虐殺された。
根本が日本へ戻って新しい生活を始めていたころ、中国では毛沢東の共産党と蔣介石の国民党による内戦が行われていて、敗北が決定的となった蔣介石は台湾へ逃げ込んだ。
今度は自分が恩義を返す番。
そう思った根本は1949年年6月26日、「釣りに行ってくる」と家族に言い残して釣り竿を持って出て行って、それきり戻ってこなかった。
根本は宮崎県に移動し、そこから台湾へ密航する。
台湾では誤解から投獄されることもあったものの、根本の正体を知った軍の上層部が歓迎し、彼を台北へ迎え入れた。
このへんはもうアニメの展開だ。
アメリカから軍事支援を打ち切られ孤立無援、絶望的な状態にあった蔣介石に根本は協力を申し込み、彼は「林保源」という中国名で台湾を守るために戦うこととなる。
台湾から中国のアモイへ渡った根本はここを捨て、すぐ近くの金門島を拠点とすることを提案した。
この案が認められて根本は直接指導に当たることとなり、中国軍の上陸を阻止するため、金門島の海岸には約7500個の地雷を埋設し、200個のトーチカを建設した。
1949年10月、ついに中国軍(人民解放軍)がやってくる。
ここを落とされたら中華民国はもうおしまいで、台湾は完全に中国共産党のモノとなる。
しかし根本が指揮をとり、上陸してきた人民解放軍を破って金門島を守り抜いた。
この戦いを古寧頭戦役(こねいとうせんえき)という。
中華民国軍の最終的な攻撃の後、残りの人民解放軍は、10月27日午前10時に中華民国軍に降伏した。金門島に上陸した人民解放軍全軍が、事実上失われた。
中国共産党にとってはこの敗北によって、台湾を奪って全土を統一するという夢が断たれた。
蔣介石ら中華民国にとってはこの勝利によって、「独立」を守ることができ、現在の台湾につながる。
中国での借りを返した根本が日本へ帰るとき、蔣介石は感謝の気持ちとして「あなたと自分が永遠に一緒である」ことを表す一対の花瓶を贈る。
これはイギリス王室や日本の皇室に贈ったものと同じ花瓶だったという。
その後、この花瓶の1つは蒋介石が眠る「中正紀念堂」に送られて、現在もそこで展示されている。
2つの花瓶は日台友好、日本と台湾が永遠に友人であることを象徴するものとなった。
1949年年6月26日に「釣りに行ってくる」と出かけた根本は、1952年(昭和27年)6月25日にようやく日本へ戻ってきた。
ただ旧日本軍の軍人が台湾へ密航したことは国会で問題となる。
では最後に根本博について、台湾にくわしい日本人から話を聞いたのでそれを紹介しよう。
・蒋介石は日本に対して大した感情は持っていなかったと思いますよ。あくまで利用できるものは利用するという、ドライな感覚だったかと。
旧日本軍の軍人は国府軍の幹部のような不正は働かず、清廉潔癖だったこともお気に入りの理由だったそうです。
蒋介石の周囲はスパイだらけで、一瞬も心の休まるときはなかったそうです。
裏表がなく、裏切る恐れもない日本人将校たちといっしょにいるときだけが唯一心が休まったかもしれません。
・この方は台湾では軍神と言われております。敗戦後大陸より蒋介石に部下全員を帰国させて頂いた恩返しに釣り道具1本を持って密航して金門島戦線を指揮して大陸共産党から台湾を護った方と聞いております。
・根本将軍以外にも白団の名で台湾防衛に参画した日本軍事顧問団が80名以上もいたと言われます。当時の台湾は蒋介石総統が軍事独裁をしており、国民から日本の影響排除を進めていた時代でしたので隠し埋められてきたのです。
・歳をとられている方には相当有名な方です。蒋介石さんに恩を受け、その恩に報いるために金門島を中国から守り切った方です。
・根本さんのことは国民党が長い間タブーとしてきましたので、ほとんど知られていません。
・極秘の任務でしたし、根本さんの他、白団についてもまだまだ知られていないようです。
台湾軍の基礎を作ったのは旧日本軍の軍人たちです。
・根本博のことはよく知っています。でも、台湾も日本も、あまり紹介していないのが現状です。今の台湾は、やはり日本の先輩たちが日本国の一部であるという信念をもって頑張った結果であると思います。高齢者の台湾の人々は、このことを十分に理解しています。でも、若い人たちはどうかな?
・以前日中戦争、大陸、台湾そして戦後を描いた台湾ドラマを見たことがあります。金門島の戦闘が一番派手でしたが、もちろん根本中将は出てきませんでした笑。
・その通りです。特に日本人に助けてもらうというのはメンツがなくなります。
・馬英九総統時代に門田隆将が根本博の功績を発掘したことで、台湾の正史にも顔写真付で記載されるようになったようです。TVのドキュメンタリー番組でやっていました。
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金門島については、根本中蒋の話だけでなく、現在の金門島がどうなっているか紹介する話をできればお願いしたいところです。特に、台湾島および中国大陸からの地理的な位置関係と、現在の政治的・経済的な体制に関して。今は、日本人など外国人でも金門島に行けるのですかね?
現在の金門島については動画で紹介しましたので、それ以上の情報はぜひ個人で確認してほしいです。
隠れた名将、根本中将を取り上げて頂きありがとうございます。
満州が地獄の対して内蒙古の邦人が退避できたのは彼の判断と、陣地を死守した将兵の働きあっての事です。
さて、白団についてちょっと長いんですがコチラのサイトに詳細な記述がありますので
宜しければ御覧ください。
初期の台湾軍の成立にいかに日本が関わったかよく分かるかと思います。
当時の台湾の様子もわかり貴重な記録です。
http://www.kaikosha.or.jp/old2/kankousi-kaiko/paidan.html
貴重な情報の紹介、ありがとうございます。
白団についてはここで触れませんでしたので助かりますよ。