2か月ほどまえ、古(いにしえ)の都・奈良で「開封の儀」があったことをご存じだろうか。
奈良時代、人間を喰らっていた九つの尾をもつ巨大なキツネを、興福寺や東大寺の僧侶らが全力祈祷して奈良公園にある石に封じ込めた。
その封印を解くのが1300年後のことし2021年だったことから、このほどその儀式が行われた。
‥というのなら、史上最高の視聴率が期待できるだのけど、実際には正倉院に収められている宝物を点検するために、宝庫の封印を解く「開封の儀」が行われただけのこと。
NHKニュース(10月07日)
宝庫の入り口で手や口を水で清めたあと1列になって中に入り、宝庫の中では宝物が収められている6つの部屋の扉の鍵につけられた封印をはさみで解いたということです。
正倉院で「開封の儀」 年に1度 宝物の点検や調査
そもそもこの正倉院とは、一体どんなモノなのか?
まえに奈良の大仏を建てた聖武天皇の妃で、慈悲の心にあふれる光明皇后について書いた。
夫の聖武天皇が亡くなってから四十九日の日に、光明皇后は天皇の遺品などの貴重品を東大寺の廬舎那仏(大仏)に奉献することをきめ、その宝物を収めるために正倉院がつくられた。
いまでも正倉院にはその時代の絵画・書跡・金工・漆工・木工・刀剣・陶器・ガラス器・楽器・仮面などが保管されていて、年に1度、その品々を確認するために「開封の儀」が行われている。
ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている正倉院にはこんなお宝がある。
光明皇后の書
上が「赤漆文欟木御厨子(せきしつぶんかんぼくのおんずし)」という漆塗りの物入れ。
聖武天皇の遺愛の品で、由来は飛鳥時代の天武天皇にさかのぼるとか。
下は「鳥毛立女屏風(とりげりつじょのびょうぶ)」という、女性が描かれた屏風でこれも聖武天皇が使っていたもの。
天下第一の名香といわれる香木の蘭奢待(らんじゃたい)も正倉院にある。
足利義満、足利義教、織田信長、明治天皇といった日本史のVIPがこれを切り取ったという。
こんな正倉院について、外国人はどう思うのか?
明治時代の日本へやってきたアメリカ人のモースという学者は、「神聖な旧古の精神がいまだにこの地に漂っている」と全奈良県民が歓喜するようなことを言って、この宝物殿を「日本の驚異」と表現した。
高い柱の上にのっている驚く可き古い木造の倉庫は、千年前、当時の皇帝の所有物を保存するために建てられた。これは確かに日本の驚異の一つである。この建物の中には、事実皇帝が所有した所の家庭用品や道具類、即ち最も簡単な髪針から、
「日本その日その日 (モース エドワード・シルヴェスター)」
簡単な髪針(ヘアピン)から黄金を象嵌した精巧な楽器まで、宮殿内にあるものすべてが保存されている。
この奇跡を欧米人が実感するには、
「アルフレッド王に属した家庭用品を納めた同様な倉庫が、英国にあるとしたら…… ということを想像すべきである。」
とモースは書く。
アルフレッド大王(849年 – 899年)は北欧のヴァイキングと戦って、国を守ったイギリスの英雄王だ。
この王については歴史書に記録があるだけで、遺品が残されているというのは欧米人には考えられないことだったのだろう。
それも「宮殿内にあるものすべて」というレベルはきっと空前絶後。
モース(1838年 – 1925年)
5年ぐらいまえ、アメリカ人(20代の女性)と一緒に奈良を旅行したことがある。
奈良公園では鹿の襲撃を楽しんで、東大寺の大仏ではそのデカさにもはや笑い出し、世界最古の木造建築物・法隆寺では「アメリカで一番古い建物は18世紀のものだから、1400年前なんて意味わからん」と圧倒された。
そんなアメリカ人にとって印象的だったのが正倉院。
「8世紀なんていったら、アメリカが誕生する1000年もまえのこと。その時代から現在まで、皇帝の遺品が保管されてるのは信じられない」と驚嘆する。
モースから100年ほどあとのアメリカ人にも、「日本の驚異の一つ」はやっぱりすごかった。
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>奈良時代、人間を喰らっていた九つの尾をもつ巨大なキツネを、興福寺や東大寺の僧侶らが全力祈祷して奈良公園にある石に封じ込めた。
>その封印を解くのが1300年後のことし2021年だったことから、このほどその儀式が行われた。
えええええ、と思ったら冗談だったのですか。冗談でもそんな恐ろしいこと言わんでほしい。
ブログ主さんの「言霊」能力で、それが本当になったらどうするのですか?
(マンガ「うしおととら」より)
そんな特番見てみたい。