【海苔養殖の母】日本人なら感謝すべきイギリス人、ドリュー

 

海外ではあまりなじみがないけれど、日本人の食生活に欠かせないのが海苔(のり)。
静岡の学校で英語を教えていた知人のアメリカ人は給食で生まれて初めて海苔を食べて、その感想を「悪くはないけど、紙を食べているみたいでなんか変な気分だったよ」という。

この食べ物と日本人との付き合いはとても長く、奈良時代の『常陸国風土記』にその名が出てくるから、1300年ほど前には食べられていたことが分かる。

「古老の曰(い)へらく、倭武の天皇 海辺に巡り幸(いでま)して 乗浜に行き至りましき。時に浜浦(はま)の上に多(さは)に海苔〔俗(くにひと)、乃理(のり)と云ふ〕を乾せりき。」

いまの日本でよくある四角くてパリパリした海苔(板海苔)は、江戸時代に和紙の製法を応用して考案された浅草海苔だ。

 

 

ただ日本には海苔を養殖する技術はあったものの、海苔のくわしい生態は分かっていなかったため、海苔職人のカンと経験を頼りに生産されていた。
だから生産量は安定することなく、年によってバラバラ。
どれだけとれるかは運しだいということで、海苔は「運草」と呼ばれた。

そんな不安定な状態を解消し、海苔の安定供給を可能にしたのがイギリスの植物学者キャスリーン・メアリー・ドリュー=ベーカー
戦後すぐの1949(昭和24)年にドリューは海苔の糸状体を発見し、(くわしいことは上のリンクを見てもらうとして)、とにかく海苔のライフサイクルを解明した。
そしてドリューが親交のあった九州大学の瀬川宗吉博士にそれを知らせると、瀬川は熊本県水産試験場の技師と一緒に日本の海苔への応用研究を開始し、人工採苗の製造に成功する。
これによってウンにまかせず、海苔を安定的に生産できるようになり、日本の海苔養殖業に大きく発展した。

イギリスのウェールズ地方でも伝統的に海苔は食べられているから、ドリューは海苔になじみがあったらしい。

 

海苔の養殖に大きな貢献をしたことからドリューは、日本の海苔産地で「海苔養殖の母」と呼ばれている。

 

ドゥルーの功績に感謝するため、熊本の海苔漁業者が寄付金を募って、有明海に面した住吉神社に彼女の記念碑を建てた。
そして毎年4月の住吉神社大祭の期間中、ドリューの命日である14日に「ドゥルー祭」を行って彼女の偉業をたたええている。
祭られているのだからドリューはもはや神、日本の「のり女神」と言っていい。
*ドリューは1957年9月14日に亡くなった。

住吉漁業協同組合のHPの「第56回ドゥルー祭」を見ると、神道の神官がこの儀式を執り行っていて「今漁期の海苔養殖を無事終了出来たことや、来る漁期の豊作と安全を祈願していました。」とある。
日本ではほとんど知られていなけど、養殖海苔を食べている人なら間接的にドリューの恩恵を受けている。
つまり、ほとんどすべての日本人だ。

 

 

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2 件のコメント

  • これは私も知りませんでした!
    まさか日本の海苔養殖技術の根本が、イギリス人女性植物学者の成し遂げた「海苔のライフサイクル研究」についての成果と、それを手紙で日本へ知らせてくれたことによるとは。
    明日から、海苔を食する日にはドリュー女史に感謝しつつ食べることにします、つまりほぼ毎日です。

  • わたしも最近、知りました。
    海苔は昔から日本人が養殖の知識や技術を確立しているものだと思っていて。
    このイギリス人学者には感謝しかないです。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。