古代インドのゲーム「チャトランガ」に起源をもつといわれる将棋。
これが日本に伝わると、相手から取ったコマを自分のものとして使うことができる「持ち駒」という新ルールが加わえられて、日本独自の将棋が誕生した。
でも終戦後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が日本を占領すると将棋がピンチに。
「二度と戦争を起こさせない国」へ日本を生まれ変わらせるため、GHQは教育や文化など社会のあらゆる部分を変えようとする。
いわゆる「日本改造計画」だ。(いま考えた!)
そのなかでGHQは「持ち駒」のある日本将棋をこう問題視した。
「将棋はチェスとは違い、敵から奪った駒を自軍の兵として使う。これは捕虜虐待という国際法違反である野蛮なゲームであるために禁止にすべきである」
これに日本側が「チェスは捕虜を殺害している。これこそが捕虜虐待である。」などと反論し、将棋廃止はまぬがれることができた。
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さて、1945年のきょう12月15日は、GHQが神道指令を出して神道と国家を分離し、国家神道が廃止された日だ。
戦前戦中、国家が神道を利用して軍国主義の空気をつくり出し、国民を戦争に走らせる原因になったと考えたGHQは政治と宗教を完全に切り離すことにする。(政教分離)
それまで神社に資金を提供していた政府は、神道指令のあとそれを廃止。
「大東亜戦争」や「八紘一宇」など、GHQから危険とみなされた言葉の使用もこのころ禁止される。
そしてきのう12月14日は「討ち入りの日(忠臣蔵討ち入りの日)」だ。
1701年に江戸城の廊下で浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が、いろいろな嫌がらせをしていた吉良上野介(きらこうずけのすけ)に刀で斬りつけた。
これで吉良はけがを負ったものの、命に別条なし。
江戸城では幕府が朝廷の使者を接待している最中だったから、その場でこの乱暴行為は絶対に許せるものではない。
将軍徳川綱吉が激怒したのも当然。
*ドラマでは「殿、殿中でござる!」と家来が必死に浅野内匠頭を止めようとするシーンがよく出てくる。
結果、吉良上野介は無罪で、浅野内匠頭には切腹が言い渡され浅野家は断絶となった。
この事件の翌年12月14日、主君の浅野に代わり、家臣の大石内蔵助(おおいしくらのすけ)ら47人が吉良邸に討ち入り、吉良義央を討つ。
この仇(あだ)討ちを義挙と称賛する世論もあって、大石らの処分に悩んだ幕府は、結局は死罪を言い渡して大石内蔵助は主君のもとへ逝く。
この赤穂事件(あこうじけん)をモデルに歌舞伎や浄瑠璃で『忠臣蔵』の演目がつくられて、江戸時代に大人気となった。
最近は見なくなったけど、『忠臣蔵』は年末になるとよくドラマが放送されていて、いまでも中高年の間では支持や知名度が高い。
これが「討ち入り日」のネット民の反応だ。(きっと中高年)
・電柱でごる!電柱でごる!
・現代の赤穂浪士なら誰が襲われるんだ
・危機管理能力がないんだろ
吉良も浅野も
・報復する相手は切腹させ藩を潰した幕府だろうが
・日本民族の心を鷲掴みだからねえ。
・職場に吉良さんいるけどカワイイ
吉良邸へ討ち入る大石ら
「持ち駒」ルールのある将棋はギリセーフだとしても、「かたき討ち」や「復讐」をテーマとする忠臣蔵はアメリカにとって都合が悪すぎるからこれは完全アウト。
日本での一切の上映が禁止された。
雑誌『LIFE』に忠臣蔵から日本人の「血に飢えた」メンタリティを分析する論考が載っていたことが、この決定に影響を与えたという指摘もアリ。
GHQの上層部はこれを読んで前述した禁止事項を入れたのかもしれないとしている。もしそうだとすれば、GHQは忠臣蔵を狙い撃ちして禁止した事になる。
主君のために耐えがたきを耐え、自分の身がどうなろうと関係なく、ついに仇(かたき)を討った。
江戸時代はもちろん、現代の日本でもこれを「義挙」と感動する人は多い。が、まったく違った文化圏から見たら、「血に飢えたメンタリティ」に映るかもしれない。
QHGはこのとき「二度と戦争をさせない国」にするため、日本にあったいろんなものを廃止したり変えたりした。
そんな「日本改造計画」については下をクリックだ。
靖国神社もそのターゲットになり、ここを焼き払ってドッグレース場にする計画まであった。
でも、カトリックの神父がこう言って反対する。
「いかなる国家も、その国家のために死んだ戦士に対して、敬意を払う権利と義務があると言える。それは、戦勝国か、敗戦国かを問わず、平等の真理でなければならない。」
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忠臣蔵どころか、「紅白歌合戦」という言い方も「合戦」が戦争を想起させるからマズイとされ、「紅白歌試合」という呼び名でようやく許可が降りたらしいですからね。以前、NHKのドラマでやってました。