失敗だらけの「武士の商法」で、マレな成功例は牛乳店だった

 

武家政権の「幕府」なんてものは日本にしかない。
だから、外国人がこんな政府を理解するのはむずかしい。
という話をきのう書いたのですよ。

外国人には“謎”。世界で日本だけの「幕府」はいつ始まった?

12世紀に誕生した日本の幕府も、19世紀後半になって西洋列強が近づいてくるとついに崩壊し、明治政府ができて日本は近代国家へと生まれ変わる。
このとき日本中の人たちが時代や社会の変化に合わせて、自分を変えていこうとがんばっていた。
なかでも大変だったのは、急に身分と職場を失った元武士(士族)の人たちだ。

ちょっと話はそれるんだが、ベトナム戦争でも似たようなことがあったという。
戦争が終わって平和な時代になると、それまで兵士として育てられて、銃の撃ち方しか知らなかったような人たちが農業や商売を始めるから、すぐに失敗したりして苦しい思いをする。
知識・技術・経験のない元兵士が銃をクワに持ち替えたところで、なかなかうまくいかないのは想像できる。
兵士だった人間(特に少年兵)が平和な社会になかなか適応できず、苦労するという話はいまでもアフリカなんかで聞く。

そんな「失業問題」は明治政府も分かっていたから、武士からその地位を取り上げた代わりに、維新に貢献した士族や華族には秩禄(ちつろく)として生活資金を渡していた。
といってもそのほとんどは士族。
人口からみれば5%ほどの元武士の人たちが国家財政の約4割を受け取っていて、しかも明治政府は財政難だったのだから、この“特権”に怒りや批判の声が上がるのは必然。
それで明治政府は1876年(明治9年)に秩禄処分(ちつろくしょぶん)を断行し、元武士への資金流入をカットする。

この前後で、生活のために士族(元武士)が新しい商売を始めても、知識や経験がないからすぐに失敗することがよくあった。
このへんは海外で、市民となった元兵士が社会適応に苦しむことと似ている。
で、こんな言葉が外国にあるか知らないけど、明治時代の日本では、事業を起こして失敗する士族が続出したことで「武士(士族)の商法」という言葉がうまれた。
これは、慣れない人や未経験の人がビジネスを始めても、失敗する未来しか見えないという意味で、庶民のあざけりやディスリのニュアンスが込められている。

 

そんな「武士の商法」の中にも、少ないけれど成功例はあった。
日本人の食生活が西洋化することに着目して牛乳店を開いたところ、これがみごとにヒット。
とはいえ、庶民から敬意を受けていて特権身分にいた武士の人たちが東京で牛を飼って、乳をしぼって売る時代がくるとか、このときの変化のスピードはやっぱりすさまじい。
ただ牛乳店で成功した元武士は並の人間じゃなかった。

毎日新聞のコラム『余禄』(2021/12/23)

榎本武揚(えのもとたけあき)や大鳥圭介(おおとりけいすけ)ら旧幕臣、新政府の大官の松方正義(まつかたまさよし)、山県有朋(やまがたありとも)、副島種臣(そえじまたねおみ)たちも牛乳店を経営した

落語「素人鰻」「御膳汁粉」で…

 

このへんの逸材は歴史教科書に出てくるようなレベルで別次元にいたから、まったく一般化することはできない。
こんなキラキラ事例の背後には、おびただしい「武士の商法」の屍があったはず。

 

さていまこのタイミングで、毎日新聞が牛乳のコラムを書いたことにはワケがある。
コロナ禍や冬休みで学校給食がないといったことが原因で、牛乳の原料となる「生乳」がいま大量廃棄の危機にひんしているのだ。
それで岸田首相が「年末年始に牛乳をいつもより1杯多く飲み、料理に乳製品を活用してほしい。」と呼びかけた。
ということで今年の冬は、「武士の商法」で討ち死にした元武士をしのびながらホットミルクでも飲もう。

 

 

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1 個のコメント

  • 「武士の商法」と言われると、逆説的に思い出すのが、作:堺屋太一「峠の群像」ですね。ちょっと前の記事にも書いてある「忠臣蔵」を描いた話です。
    江戸城の松の廊下で吉良上野介を恨んで襲い掛かったことを罰せられ、赤穂藩主・浅野内匠頭は切腹、赤穂藩は御取り潰し(廃藩)となってしまいます。そこの勘定方であった下級武士の一人が、江戸の大手塩問屋に商才を認められ、塩屋の一人娘の婿となって商人として第二の人生を歩み始めようとしていたその矢先、赤穂浪士の討ち入りが起きる。討ち入りに参加しなかったその元・下級武士は、結局、世間からの非難に耐え切れず、婚約者を捨てて出奔してしまうという悲劇の物語です。
    多数の登場人物の中で仇討を主導した大石内蔵助だけが、現代的実存主義に目覚めているという不自然さはあるものの、一連の事件と時代背景を経済学的観点から解釈し解説したとても面白い物語でした。勉強になりました。

    あんな風に世間からの非難に耐え切れず自決したり、姿を消してしまう人間は、おそらく江戸の昔からいたのでしょうね。それが日本人の本質なのか、現代のNET社会でも事情は変わっていません。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。