今日1月17日は、日本人なら忘れることがあってはならない日。
1995年のこの日の午前5時46分、太平洋戦争後では最大の被害を出した阪神・淡路地震が発生し、6434人が犠牲になる。
27年前のこの手痛い災害を教訓に、「DMAT」や「災害用伝言ダイヤル」などが誕生した。
ネットの声を拾ってみるとこんな感じだ。
・初期の報道では神戸周辺の震度が計測できずぽっかりと空白になってたんだよな
・朝の生番組を見ていた。
「神戸とは連絡が取れません」とか言っていた。
・大阪にいたが、経験したことがない強い揺れでガチでビビった
本棚から本が飛んでいったとか
・テレビでもしこれが東京で発生してたら大変ですねシミュレーションしてみましょうみたいに他人事してて腹が立った
「神戸とは連絡が取れません」という状態は、ネット社会のいまならまず考えられない。
この大地震を上回る被害を出したのは、約18500人の死者・行方不明者を出した2011年3月11日の東日本大震災だ。
そしてこの大災害を経験して、ある決断をしたブラジル人がいたらしい。
1月17日の神戸のビル
ブラジルからレアンドロ・ドミンゲス・バルボーザ選手(ながっ)が来日して、J2の柏レイソルに加入したのは2010年のこと。
J2でプレーするのは反則と言われたほど、レアンドロ選手は異次元のパフォーマンスを見せて、柏レイソルをクラブ初のJ2優勝とJ1復帰へと導いた。
日本の生活では快適さと安全を気に入っていたレアンドロ選手は、車を持たなかった理由を聞かれてこう答えた。
「練習場から歩いてこれる距離に家がありますし、どこへ行くにも日本は電車網が繋がっています。東京に行くにしても、車より電車の方が早く着きますしね。それに、日本は危険なところが少なく、家の近くでなんでもモノがそろいますから」
男の独り身ならいざ知らず、妻と子どもという守るべきものがある身としては、世界トップレベルの治安の良さは魅力的だ。
「夜道を女の子一人で歩けるのは日本だけ」とレアンドロ選手は太鼓判を押したとか。
そんなレアンドロ選手は来日した翌年、2011年に空前絶後の巨大地震を日本人と一緒に経験する。
この直後、日本にいる外国人には母国の家族や友人から、「日本は危ない!早く戻ってこい!」という声が殺到して、多くの人が日本を去って行った。
レアンドロ一家にも当然、ブラジルの親族から一時帰国をすすめる声が寄せられた。が、彼らはそれを拒否して、日本に残ることをきめる。
このときレアンドロ選手の妻が親族に言ったとされるコトバは、いまでも日本ネット界の伝説になっている。
「地震は強盗しない」
この奥さんはむかし、リオデジャネイロで強盗にあって恐ろしい目にあったらしい。
ブラジルでの人災と日本での天災のリスクを比べたら、日本で生活することの方が安全と思ったのだろう。
ただこれはネットでよく聞く話で、事実と確認できるソースはいまいち不明。
でも、有名な話のわりには、これをフェイクニュースだと否定する声も見たことないから、正しいのではないかと思っている。
同じような理由で、このとき日本滞在を選んだ外国人は多いはずだ。
知人の韓国人やアメリカ人も母国から、「戻ってこいコール」を何回も受けたけど、次に地震が起こる可能性は低いだろうし、福島原発の影響もなかったから、「それでも日本は安全だ」と説明して日本に住み続けた。
結果、多くの外国人が母国に戻ったから、かなり良い条件のバイトを見つけたり、仕事の待遇が良くなったという。
いま彼らはあのときの決断は正解だったと確信している。
レアンドロ一家もきっと同じだ。
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> ブラジルでの人災と日本での天災のリスクを比べたら、日本で生活することの方が安全と思ったのだろう。
これは、日本人の想像を絶するものがあります。ブラジルをはじめ中南米では、個人住宅・アパートの玄関ドアや窓を見ると必ず鉄格子が備わっていて、まるで刑務所みたい。そういうのが当たり前の地域なんです。
若い頃、メキシコとリオにほんの1~2日滞在しただけですが、遠くで銃声が聞こえたり、人々の何ていうか目線が刺さるようで、死ぬほど怖かった。子供たちに「チノ、チノ(中国人野郎)」とからかわれるのにも参った。
最近の映画で「ボーダーライン2」とか「コロンビアーナ」とか見れば、その辺の雰囲気がよく分かります。
昔話した日系ブラジル人で「怖いからブラジルにはもう帰らない」と言う人がいました。
日本に慣れたら無理でしょうね。