日本人はルールやきまりをしっかり守るから街はキレイだし、社会には秩序があると外国人の間で評判だ。
同時に、日本人はルールやきまりを守り過ぎるから、窮屈で腹立つこともあると外国人はよく言う。
それでこのまえ欧米人の体験談を書いてみた。
ルールやきまりは、基本的にはキッチリ守ることが大事。でも、非常時や想定外の事態など状況しだいでは、機転を利かせてマニュアルにはない行動をとると「よくやった!」と称賛されることもあるし、「何やってんだ!」と怒られることもある。
今回の話は前者のほう。
先週16日に南太平洋で火山の大爆発が起きると、日本では津波警報・注意報が発令された。
このときの行動から「まさに神対応!」と絶賛されたのが、宮城県多賀城市にあるファミレスの「びっくりドンキー」。
注意報を知ると、すぐに店員はその場にいた客に避難を呼びかけた。というマニュアル通りではなかった。
このとき店員は何人かの客が「代金は払う」と言っても、「それはいいです。とにかく避難してください!」と断って安全を優先する。
それでそのあと、客の1人が「完食してしまったのにも関わらず食事代金は本日要らないのでと避難指示を優先していました」とツイッターでつぶやくと、翌日には27万以上の「いいね」が集まった。
店員のとっさの判断に、「対応された従業員さんは非常に誇らしく思っています」と運営側もうれしそう。
*個人的に「びっくのだドンキー」は仙台の「半田屋」が運営しているというのを初めて知ったなり。
緊急時の対応として、店のマニュアルには「生命の安全を最優先しましょう」と定められていて、店員はそこから瞬時に「代金を受け取らない」という選択をしたのだ。
「マニュアルに従う」+「自分の頭で考える」がうまくコラボした好事例。
普段は叩くかぶっ叩くかのネット掲示板も、これには拍手をおくる。
・ドンキにしてはやるな
・こういう人を幹部に引き上げて使うんだよ
・馬鹿「今夜も津波こねえかなあ」
・これは良いびっくり
・次に津波警報出たときが問題やな。
良い客ばかりじゃない。
さて、この店員さんの神対応で、江戸時代の三大大火の一つ「明暦の大火」での石出 帯刀を思い出した。
これは1657年1月18日に起きたから、日付だけなら上の美談とほぼ同じだ。
無数の民家もちろん、江戸城や多くの大名屋敷まで焼けて、10万人の死者を出したともいわれるこの大火の詳細はこの記事を見てもらおう。
このとき江戸はみるみる火の海に包まれていき、火の手は犯罪者を収容している牢屋敷にも迫ってきた。
するとここを管理している石出 帯刀(いしで たてわき)は、「これも自業自得だ」と罪人に言い残して仲間と逃げだした。
と、なってもおかしくないところ、石出は罪人らにこう言い渡す。
「大火から逃げおおせた暁には必ずここに戻ってくるように。そうすれば死罪の者も含めて、私の命に替えても必ずやその義理に報いて見せる。もしもこの機に乗じて雲隠れする者があれば、私自らが雲の果てまで追い詰めて、その者のみならず一族郎党全てを成敗する」
この言葉にふれ、死罪の者も含めて数百人の罪人が涙を流して吉深に感謝した。
そして後日、全員が牢屋敷に戻ってきたという日本人の律儀さよ。
この「切り放ち」を行った吉深は、
「罪人といえどその義理堅さは誠に天晴れである。このような者達をみすみす死罪とする事は長ずれば必ずや国の損失となる」
と思って彼らの罪の減刑を嘆願すると、幕府もこの話に心を揺さぶられて全員の減刑を認めた。
明暦の大火では、石出と同じような「ナイス判断」をした役人がいたらしい。
ただ当時の日本人にとって、たとえ火事であっても罪人を放つというのは常識外だったようで、解放されて逃げる罪人を見て「集団脱走している!」とカン違いした役人が門(浅草門)を閉めてしまった。(上の絵)
「マニュアル対応」しかできない役人のせいで、せっかくの機会を活かすことができず火に焼かれた人もいたはず。
こうして「切り放ち」は幕府公認になった。
それ以来、「切り放ち後に戻ってきた者には罪一等減刑、戻らぬ者は死罪」ということが、多少の変化はあったものの社会的に認められ慣例化される。
江戸時代の価値観や社会制度が一新された明治の世になっても、この考え方は変わらず支持された。
明治期に制定された旧監獄法による明文化を経て、現行の刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律(刑事収容施設法)にまで引き継がれている
関東大震災や太平洋戦争のときにも、受刑者の「切り放ち」をした記録が残っている。
昔からルール厳守の日本人でも「生命の価値」を最優先にし、自分の頭で考え即断即決して通常のきまりをぶち壊しても、それは「神対応」と評価・称賛される。
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