日本の「ベトコンラーメン」、その由来とベトナム人の感想

 

1965年のきょう2月7日、ベトナムでは地獄のとびらが開かれた。
アメリカ軍がこの日、北ベトナムに対して爆撃を行ったことで、ベトナム戦争が激化していく。
1975年に戦争が終結するまで両軍兵士はもちろん、多くのベトナムの老人や女性、子供も命を奪われた。
世界最強と言われたアメリカ軍と真っ向から戦って、戦いつづけて、ついにインドシナ半島から追い出したのが北ベトナムの南ベトナム解放民族戦線だ。
南ベトナム解放民族戦線=越南共産党(ベトナムコンサンダン)なので、「ベトコン」と呼ばれることが多い。

 

北爆を行う米軍機

 

「バカみたいに愛してた」(千葉県)
「ガッツリラーメン それは私のおいなりさんだ」(神奈川県)
「ムッチリつけ麺 ムッチー」(愛知県)

と、日本には変わった名前のラーメン店がある。
ならばアメリカ軍を撃破した、タフで強じんな兵士に由来するラーメンがあってもおかしくない。(かも)
岡山県にあって2020年に火災で焼け落ちて、それでもクラウドファンディングに成功し資金を集めて、フェニックスのように復活した奇跡のラーメン店があった。

山陽新聞(2022年02月04日)

 火災で全焼 ベトコンラーメン復活 5日に営業再開、味はそのまま

岡山県倉敷市にある「ベトコンラーメン倉敷新京」はベトコンラーメン発祥の店、愛知の「新京」で修業した人が始めたお店だとか。
全焼からよみがえったいまは、「ベトコンみそラーメンなどの復活にも挑む」と店主は語る。
ガンバッテ。

ネットも応援してる。

・いろりをかこんで
ろりこんラーメンとかやってみようかな
・北爆から復活
・ニンニク好きなら
病みつきになる(´・ω・`)
・店員は笠被りゴム製サンダルを履いて接客
地下トンネルからラーメンが出てくる
・とにかく量が多かった記憶

ゴム製サンダルを履いて接客は知らんけど、店員はとてもよく訓練されてる予感。
コスプレでいいから、たまにランボーがラーメンを作っているとうれしい。

 

 

ところで、どうしてベトコンがラーメンの名前になったのか?

よく言われるのが、愛知県一宮市にある中華料理屋「新京」で開発されたという説。
はじめは疲労や夏バテ回復のために、ニンニクやトウガラシを入れたラーメンを店のまかない料理にしていたのを、「これはいける!」と思った店主が商品化を考える。
となると、そのラーメンに合う良い名前を付けないといけなくなるワケなんだが、どこかにそのヒントはないのだろうか?
そんな時、出会ったのがベトナム戦争です。

商品化に際し、当時続いていたベトナム戦争のベトコン(南ベトナム解放民族戦線)の勇敢なイメージにちなみ、ベトコンラーメンと名付けられた。

ベトンラーメン

 

しかし、戦争がドンドン激しくなっていって、ラーメンのイメージからドンドン離れていったことから、「ベトコンラーメン」はふさわしくないと考えるようになる。

*ベトコン(越共) という名称はアメリカや南ベトナムが蔑称として使っていたこともあって、もともと上品な言葉ではなかった。

それで、「食べると体調が良くなる」という客の言葉を聞いてベスト・コンディション、略して「ベトコンラーメン」になった。
つまり一周回って、解釈を変えただけ。
でもベスト・コンディションなら、「ベスコンラーメン」のような?
そんな細かいことはどうでもよくて、いまではここで修行してベトコンラーメンの作り方をマスターした人が、九州から津軽半島までの広い範囲で店を出しているとか。

 

では、ベトコンラーメンをベトナム人はどう思うのか?
何人かに聞いてみると、越南共産党(ベトナムコンサンダン)とラーメンの結びつきがサッパリ分からないから、とりあえずみんな驚く。ですよねー。
「ベトコン」と呼ばれていた北ベトナム出身の人は、「それは第三者の日本人らしい見方で、面白いと思います」と好意的に評価して、愛知に行く機会があればネタとしても食べてみたいと意欲を見せる。

対して、北ベトナムに負けて国を失った南ベトナムの人間はフクザツだ。
「ベトコンは大嫌い。イメージはすごく悪いですね。ラーメンは好きだけど、そのラーメンはイヤですね。」と話す人がいた。
ベトナム戦争では、ベトコンに殺された南ベトナム人もいるから、身内でそういう人がいたらその名も聞きたくないかも、
でも、あればベストコンディションだから…。
このほか、「名前はどうでもいいです。美味しかったら食べます」と話す人もいたし、南出身のベトナム人でも、もう過去の話でベトコンに悪いイメージはないと言う人もいた。

初耳だったのは、南ベトナムに潜伏していた北ベトナム共産党の人たちを、アメリカや南ベトナム政府の人間が敵意を込めて「ベトコン」と呼んでいたという話。
これが本当かどうかは分からないけど、その可能性はありそう。

 

 

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1 個のコメント

  • > 初耳だったのは、南ベトナムに潜伏していた北ベトナム共産党の人たちを、アメリカや南ベトナム政府の人間が敵意を込めて「ベトコン」と呼んでいたという話。

    初耳ですか? それは意外だなぁ。なんと言っても米国にとっては対外戦争における初の敗北でしたからね。
    米軍を倒したのは、北ベトナム共産党が率いるベトコン・ゲリラ軍と、南ベトナムに潜伏していたベトコン・スパイとの連携プレーだったと言ってもよいでしょう。あの敗北により米国の自信と威信は大きく傷つけられ、米国社会が分断される一因となりました。心に傷を負った(しかし歴戦の勇者であった)ベトナム帰還兵への米国社会の冷たい仕打ちが原因となって生じた悲劇を、シルベスター・スタローンの派手なアクションで描いた作品が映画「ランボー」です。アクションもさることながら、内容的にはとても重苦しい映画です。
    また、ベトナム戦争に対する当時の日本人の見方は、筒井康隆作「ベトナム観光公社」によく描かれています。こちらはあくまでパロディ・風刺の娯楽作品ですけどね。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。