【母語って大事】バングラデシュ人「日本の歴史は幸せですね」

 

2月21日は国連が定めた「国際母語デー」だでー。(National Mother Language Day)
世界中の国の人たちがそれぞれの母語、日本人なら日本語を大事にしましょうーって日。

今日がその日だったことをバングラデシュ人の投稿を見て知った。

「21st of February is celebrated as International Mother Language Day, which is honoured in Bangladesh since 1952 as National Martyr’s Day. 」

この日はバングラデシュ人にとって、一年の中で最も重要な日といっていい「殉教者の日」(Martyr’s Day)でもある。
それでむかし知人のバングラデシュが「こういう悲しい日のない日本はとても幸せな国です」と言う。

 

1947年にインドがイギリスから独立すると同時に、イスラム教徒の多いパキスタンもインドと分離独立する。
このときのパキスタンは、西パキスタン(現在のパキスタン)と東パキスタン(現バングラデシュ)とに分かれていた。
それぞれインドの西と東にあって陸続きでもなく、1000km以上も離れていた2つの地域が同じ国としてやっていくのははじめから無理筋。
しかも東パキスタン(バングラデシュ)は、実質的に西パキスタンの支配下にあって、バングラデシュ人の母語であるベンガル語は禁止され、パキスタンの言葉であるウルドゥー語の使用を強要された。

それで日本に住むバングラデシュ人がこう話す。

「母語を禁止されるということはですね、民族の歴史や文化、アイデンティティーを奪うことと同じです。ひとつの民族を抹殺することなんです。日本では支配者から、『日本語を使うな!』と命令されたことがありません。私から見ると、それはとても幸せな歴史です。」

 

西パキスタンはウルドゥー語を唯一の国語とし、東パキスタン(バングラデシュ)のメディアや学校でもこの言葉だけを使わせようとしたから、バングラデシュの大学生が立ち上がる。
すると1952年2月21日、抗議活動をしていた学生らがパキスタンの警察隊によって銃殺された。
この怒りが独立戦争につながり、1971年にバングラデシュは独立を手に入れて現在までいたる。
日本の歴史では独立や日本語を守るために戦ったことがない。

命をかけてベンガル語を守ろうと学生のために、虐殺された場所にショヒド・ミナール(言語に殉じた若者たちの碑)が建てられた。
人が命に代えても言語(母語)を守ったのは、これが人類の歴史で初めてのことだったということで、1999年にユネスコが世界のあらゆる言語を守るために2月21日を「国際母語デー」 (International Mother Language day) にした。

ショヒド・ミナールのレプリカは世界各地に建てられていて、日本では池袋駅の近くにある。

 

池袋西口公園のショヒド・ミナール
中国語の説明があったりして。

 

日本では明治時代に森有礼や志賀直哉といった日本人や、戦後の占領軍が日本語を廃止しようと考えたことはあった。
でも、具体的に実行されることは一度もない。
異民族に支配されたことがなくて「世界最古の国」と言われる日本では、幸せな歴史を持っているぶん母語を大切にする気持ちは弱い。
韓国みたいに「ハングルの日」という母語のための祝日もない。
少なくともバングラデシュ人のベンガル語愛にはかなわないだろうし、改めて母語について考えて大事にする「国際母語デー」は日本人にこそ必要な日だ。

ちなみにバングラデシュの子供たちの間でドラえもんが大人気になったとき、これはヒンドィー語で放送されていたから、ベンガル語を守るために放送禁止になってしまった。

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バングラデシュの首都ダッカ

 

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。