想像してみよう。
もし日本が外国に支配されて、日本語の使用を禁止されたら?
日本の歴史にそんな出来事はないから実感はわかないけど、日本語を奪われたら、日本人は黙っていないはず。
でも、太平洋戦争で負けた日本にはそんな危機があったのだ。
戦後、日本はGHQ(連合国軍最高司令部 :General Headquarters)によって支配されていた。
このときGHQは日本を二度と戦争をさせない国に変えようと、教育改革を行った。
日本の教育制度を変えるため、GHQは1946年にアメリカから教育使節団を日本に呼び寄せる。
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来日した教育使節団は、漢字と仮名(ひらがな・カタカナ)を廃止して、日本人にローマ字を使わせることを提案。
本使節団の判断では、仮名よりもローマ字のほうに利が多いにあると思われる。さらに、ローマ字は民主主義的市民精神と国際的理解の成長に大いに役立つであろう
「アメリカ教育使節団報告書 (講談社学術文庫)」
この当時の日本にとってGHQの力は絶大。もはや神。
それでも結局は、日本語が奪われることはなかった。
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さて、ここからはバングラデシュの話。
バングラデシュとはベンガル語で「ベンガル人の国(土地)」という意味。
バングラデシュが提唱して国連が定めたことにより、2月21日は「International mother language day(国際母語デー)」になっている。
バングラデシュが母語を尊重することの大切さを世界に訴えたのは、この国が母語(ベンガル語)の使用を禁止されて苦痛を味わったことによる。
1971年に独立するまで、バングラデシュはパキスタンに支配されていた。
そのときバングラデシュは「二等国」扱いされていて、パキスタンの言語であるウルドゥー語だけが公用語にされてしまう。
公の場でのベンガル語使用を禁止されたバングラデシュ人は怒り、1952年2月21日にベンガル語の公用語化を求めてパキスタン軍と衝突した結果、多くの人が殺された。
それでこの日が「ベンガル語公用語運動の日」という祝日となり、国連に「国際母語デー」制定を呼びかけるきっかけとなった。
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「ベンガル語」という意味のベンガル文字
こういう悲しい歴史があるから、バングラデシュを旅行した時、現地ガイドが「私たちは世界で最も文字を大事にする」と何度も言っていた。
それはとても素晴らしいことなのだけど、そのせいで2013年に「ドラえもん」がこんな目にあってしまった。
日本経済新聞の記事(2013/2/20)
ドラえもん、バングラで放送禁止に 「学習の妨げ」
「クレヨンしんちゃん」みたいに平気でお尻を出していれば、アメリカやインドネシアで「わいせつ認定」を受けて放送禁止になるのは理解できる。
でも、なんでドラえもんがダメなのか?
バングラデシュ政府がドラえもんのテレビ放映を禁止した理由は、その内容にあるわけではない。
これがヒンディー語で放映されていたから、「公用語ベンガル語の学習の妨げになると考えた」という。
子どもたちの間でドラえもんが大人気だったため、バングラデシュ情報相は国会で「子どもたちの学習環境がドラえもんによって妨げられることを望まない」と話している。
子どもたちがドラえもんでヒンディー語を覚えてしまい、それで会話をすることが当時、バングラデシュで社会問題になっていた。
母語ベンガル語を守るため、とうとう「ドラえもん追放令」が出てしまった。
ちなみにバングラデシュの大人たちはヒンドィー語の映画(ボリウッド)をよく見るから、自然とヒンドィー語を覚える人は多いらしい。
バングラデシュで見たドラえもん
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