我欲より平和を選んだアフリカ人と、自己中なヨーロッパ人

 

ロシアが行ったウクライナ侵攻。
これが世界中に、とんでもなく大きな衝撃を与えたことは言うまでもナッシング。
このことが呼び水になって海外では、自国の過去の歴史に改めて注目が集まる動きもある。
たとえば中国政府の指導部では、ロシアがウクライナ東部の一部地域に独立を認めたことを、戦前の日本による満州国建国と重ねる人がいた。
その話はこの記事で。

【悩む中国】露のウクライナ侵攻と、日本の満州国との共通点

 

あるアフリカ人は「この状況は私たちの歴史と重なる」という。
その人物はケニアの国連大使で、彼が国連の緊急会合で行ったスピーチには世界中から共感や賛同が集まって、いま話題集中という状態だ。

アメーバタイムス(3/3)

ウクライナへの軍事侵攻は「我々の歴史と重なる」 平和的解決を願うケニア国連大使の“怒りのスピーチ”

ケニアの国連大使が指摘したのは、ロシアのがウクライナ東部の州に独立を認め、ウクライナから切り離したこと。
これは100年ほど前の帝国主義時代に、ヨーロッパ人が自分たちの都合だけから、アフリカに国境線を引いて領土を確定した行為と同じだと怒りを見せる。

このへんは1900年の前後にあったアフリカ分割のことだ。
ヨーロッパ列強がアフリカの支配権や植民地化をめぐって、「ここはオレのもの!」「いや違うね!」なんて主張して激しく争い、1912年にイタリアがリビアを手に入れたことで終わった。
結果、リベリアとエチオピア以外の全アフリカが、ヨーロッパ7か国に分割・支配される。
ちなみにケニアを植民地にしたのはイギリスだ。

それまでアフリカにあった国々を滅ぼしたヨーロッパ人は、まったく別の世界で話し合って、机上に置かれた地図に線を引いて国境を決めてしまう。
そのごう慢をケニヤ大使はこう非難。

「私たちの国境は、私たち自身で引いたものではない。ロンドン、パリ、リズボンといった遠い植民地の本国で引かれたものだ。いにしえの国々のことなど何も考慮せず、彼らは引き裂いた」

「いにしえ」ってどんな英語を訳したんだ?
それはいいとして、現在のアフリカの国境線にまっすぐな直線が多いのは、このときヨーロッパ人が定規を使って地図に線を引いたから。
アフリカの歴史や文化的、民族を無視してヨーロッパ列強の利益と都合で線が引かれたから、アフリカはこんな機械的に分断されてしまった。
アフリカが独立するとき、「もし私たちが民族、人種、宗教の同質性に基づいて建国することを選択していたのであれば、この先何十年後も血生臭い戦争を繰り広げていた」から、外国人が身勝手に決めた国境でも受け入れたのだと大使は話す。

確かに「植民地になる前の領土に戻したい!」とか、「我々の本来の領土はここまである!」なんてことを各国が言い出したらそのまま戦争に突入し、多くの人が死んですべての国が疲弊していたはずだ。
我欲より平和共存を優先して、ヨーロッパ人の負の遺産である国境線を不本意ながら受け入れたアフリカ人からすれば、軍事力を背景に、国境を変えて拡張主義に突き進むロシアが許せない。
うん正論だ。

これに日本のネット民の声は?

・欧州のはただの侵略だろ
今回の件より悪魔じみてるわ
・そもそも国境という概念が出来たのがヨーロッパだからな
・アフリカに限らずパレスチナとかも前世紀のヨーロッパの植民地政策由来だな
・愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ
・これ割と名演説だと思うわ
アフリカの歴史ってものを端的に表してる
・17,18、19世紀にやってたことを21世紀にもなってやろうとしているのがロシア

 

むかしのヨーロッパ人には、自分たちが地球の支配者で好きにできるといった「ヨーロッパ中心主義」の思い上がった考え方があった。
1493年にローマ教皇が地球儀(か地図)に線を引いて世界を東西に分けて、それぞれポルトガルとスペインに海外領土として分け与えた。
(これじゃ、「世界の半分をおまえにやろう。」という竜王とかわんない。)
この分割線を「植民地分界線(教皇子午線)」という。
日本へ初めてやって来たヨーロッパ人が、ポルトガル人だったのはこの影響が大きい。

価値観の”押しつけ”②ヨーロッパ人の教皇子午線という発想。

20世紀の列強によるアフリカ分割も、こんな「ヨーロッパ中心主義」の考え方と基本的には変わっていない。
自分の利益や欲望を抑えて平和と協調を選んだアフリカ人には、いまのロシアをとくに強く非難する権利がある。

 

中国人は満州国建国、ケニヤ人にはアフリカ分割ときて、日本人ならウクライナ侵攻を過去のどんな出来事に重ねるのか。

 

 

アフリカ 「目次」  ①

【英雄ケニヤッタ】白人のキリスト教徒がアフリカでしたこと

祝・“文明”開化!「ソマリランドでレイプ犯罪化」に女性勝利の声。

ポル・ポト時代のカンボジアと「北斗の拳」の世界

旅㉚パスポートはある!でも日本大使館がなかった。in 西アフリカ

知名度はこんなもの?ヨーロッパでの韓国、アフリカでの日本

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。