日本の差別問題 外国人・女性を「穢れ」とする見方

きのう3月8日は国連が定めた国際女性デーだった。
1908年にアメリカのニューヨークで女性が参政権を求めるデモを行い、1910年にドイツのクララ=ツェトキンがその日を「女性の政治的自由と平等のためにたたかう」ことを記念する日にしようと提唱。
そして1975年、国連が女性への差別撤廃や地位の向上を訴えることを目的に「International Women’s Day」が制定されたと。

女性の地位を向上させるため積極的に活動するのはいいとしても、張り切り過ぎて、世間から浮いてしまうのはNGだ。
最近、ロシア軍のウクライナへの侵攻について、ある国会議員が「ジェンダーの視点、忘れていただきたくないと思います」ということでこう発言した。

「戦争、内戦が起こった時に一番被害を受けるのは女性たちなんです。性暴力が増えます。ジェンダーの暴力が増えます」

この言葉には、「男性も犠牲になってますが?」「性別関係ない」「戦争被害に1番も2番もない」といった批判が集まり物議をかもす。
「戦時での性暴力」ならともかく、戦争被害に性別を持ち出すのは適切ではなかった。
「女性の政治的自由と平等のため、性差別をなくすためにわたしはたたかうのだ!」という意識が高すぎると世間の反感を買い、かえって理想実現のジャマになってしまう。

 

さて、日本が世界に誇る伝統芸能に「神楽」(かぐら)がある。

 

 

「神の宿るところ」を意味する神座(かむくら・かみくら)から転じて、「かぐら」という言葉ができたらしい。
神さまを神座にお迎えし、演奏に合わせて舞を披露する神楽は神への奉納(ほうのう)で、最高のおもてなしでもある。
古事記にある日本神話で、太陽神の天照大神が洞窟に隠れたことで世界は闇に包まれしまい、天照大神を外に出させるために芸能の神であるアメノウズメが舞を舞ったという話があって、これが神楽の起源といわれる。
だから、アメノウズメは言ってみれば「日本最古の踊り子」だ。

 

アメノウズメ

 

静岡県の、県民のボクから見ても問答無用の田舎(島田市の笹間)に、アメリカ人女性のクラークさんが住んでいて、過疎と高齢化が進むこの地区を積極的に紹介し、新しく人を呼んで活性化しようと日々がんばっていらっしゃる。
彼女は日本を旅行していて、静かで礼儀正しく、周囲の人に敬意を払う日本人に深い印象を受けた。
そしてたまたま笹間へ足を運んだとき、素朴で豊かな自然と人びとに出会ってここに住むことを決めたという。

「ジャパンニュース」のインタビュー記事には、クラークさんが自治会のメンバーとして、村の運営や清掃などの地域活動に参加して、深刻な人手不足に悩む神楽も習っていると書いてある。

As a member of a neighborhood association, Clarke participates in village governance and community activities, including cleanups, as much as possible. She has also learned kagura, a traditional Japanese dance, which is struggling with a serious shortage of performers.

American woman blends into community in Shizuoka mountain village

 

こんなクラークさんに密着取材したテレビ番組を見て衝撃を受けた。
*以下の話はボクの記憶なので、細かい違いがあるかもだけど、大筋では合ってるはず。

笹間には昔から伝わる大事なお祭りがあって、神楽を学んで小学校でそれを披露したこともあるクラークさんが、祭りで舞を披露して神さまに奉納することが決まった。
この知らせを聞いて、大喜びするクラークさん。
当日に舞う予定の神楽の練習を一生懸命していたクラークさんに、直前になって悲報がもたらされる。
外国人の神楽を見せると、神さまがどう思うか不安になるという年配者の声が出てきて、この予定は白紙になり、別の日本人(男性)が舞を披露することになった。

それまで時間をつくって、緊張と期待を胸にしながら練習に励んできたのに、土壇場でキャンセルになったことで、クラークさんは大きなショックを受けて全身の力が抜けてしまう。(そりゃそうだ)
でもこのアメリカ人は、「ジェンダーの視点、忘れていただきたくないと思います!」と言うことはなく、地区の人たちが大事にしていた領域に、外国人である自分が足を踏み入れてしまったことに気づかなかったと反省する。

ワタクシ、この姿に衝撃を受けました。

「これは明白な外国人、そして女性差別だ!わたしは女性の自由と平等、そして権利のためにたたかう!」と抗議してもおかしくないのに、アメリカ人ならとくにそうすると思うのに、この人はおそろしく謙虚だった。
不当な扱いを受けたと周囲に怒るのではなくて、うれしくて舞い上がってしまい、配慮が足りなかったと自分を責める。
偏見を承知で言うが、こんなアメリカ人女性がいるなんて思わなかった。

彼女の神楽に反対した人たちは、その理由として伝統や文化を主張していたけれど、同じ県民のボクからみると、実際の理由は外国人が「穢(けが)れ」になると思ったからだ。
神さまが見ると不快に感じる、と自分たちが思ったワケはそれだろう。
それとこれまでは地区の男が舞っていたというから、「女性」も原因にあったはずで、男性へ変更されたという点もそれを裏付けている。
日本で初めて神楽を舞ったのはアメノウズメだったのに。

現代の価値観からすると、これは外国人・女性差別と認定されて当然の案件。
外国人女性が初めて神楽を舞ったとなれば話題になるし、「開かれた地域」をアピールできただろうに、これじゃ過疎化・高齢化は止まりそうにない。
住む人がいなくなったら、神楽も祭りも維持できなくなってしまう。

 

 

外国人を「穢れ」とする見方は、昔の日本人にとくに強くあった。

日本が開国して外国人が来るようになった幕末、江戸幕府に仕えていた福沢諭吉が「福翁自伝」でこう書いている。

外国人は穢れた者だ、日本の地には足踏みもさせられぬと云うことが国民全体の気風で、その中に武家は双刀を腰にして気力もあるから

 

その後、戊辰戦争の敗北で幕府と一緒に、外国人を毛嫌いしていた武家もいなくなって、日本は明治の新時代をむかえる。

文明開化した日本が欧米から積極的に知識や文化を学んでいたとき、イギリスの王子が皇居(東京城)を訪れることになった。
これを知って「外国人は穢れている」と考えていた日本政府の人間が、日本で最も神聖な場所である皇居にイギリス人を入れることに断固反対する。
でも、当時の日本がそんな差別的な理由で、イギリス王子の訪問を拒否することはできない。
それで日本政府は王子に「潔身(みそぎ)の祓(はらい)」をしてから皇居に入れることにした。

それを聞いた福沢諭吉がこう書いている。

イギリスの王子が日本に来遊、東京城に参内することになり、表面は外国の貴賓を接待することであるから固より故障はなけれども、何分にも汚れた外国人を皇城に入れるというのはドウも不本意だというような説が政府部内に行われたものと見えて、王子入城の時に二重橋の上で潔身の祓をして内に入れたことがある

「福翁自伝 (岩波文庫)」

 

たぶん上の車のようなお祓いを王子にもしたんでしょ。
こういう迷信じみたことが大嫌いな福沢は「実に苦々しいことで、私はこれを聞いて、笑いどころではない、泣きたく思いました」となげく。

 

神道などの日本の伝統的な価値観には、女性や外国人を「ケガレ」とする見方があった。
いまでもそんな意識を引きずっている人が、とくに田舎の高齢者に多くいると思う。
「戦争が起こった時に一番被害を受けるのは女性なんです」という意見は「男性差別では?」となるし、そもそもいまの日本にとってそれは身近な問題ではない。
多文化共生が進む日本にとっては、こういうアメリカ人女性みたいなケースが大きな課題だ。
日本人も外国人も「実に苦々しいことで、泣きたく思いました」という思いをしないような日本がいい。

 

 

世界に正しい日本料理を!でも、海外から怒られた日本の“スシポリス”

反論できる?「日本人が、外国人の日本料理をインチキと言うな!」

【和菓子の特徴】四季の移ろいと日本人の“美の感性”

【おにぎりの日】日本米の“父”・並河成資と昭和の飢餓地獄

日本の文化「駅弁と特産品」、海外の見方・独自性の歴史と理由

 

コメントを残す

ABOUTこの記事をかいた人

今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。