ほんじつ7月16日は駅弁記念日だ。
1885年(明治18年)のこの日、宇都宮駅で日本初の駅弁が発売されたことからこの記念日がつくられた。
ということで、宇都宮駅の前には「駅弁発祥の地」という看板が堂々と掲げられている。
*個人的に宇都宮と言えばこれと餃子しかない。
いまネットを見たら、宇都宮は「餃子の街」「カクテルの街」「ジャズの街」という三つをアピールしているらしい。
さて本邦初の駅弁はとてもシンプルで、おにぎり2つとたくあん2切れだけ。それを竹の皮にくるんで5銭で売っていたけど、当時は「高くてマズい!」と不評だったとか。
ちなみに駅弁記念日とは別に、4月10日が「駅弁の日」になっている。
それと「竹の皮で包んだものではなくて、折り箱に入った幕の内風の駅弁はウチが初めて出した!」といった主張もあるから、日本初の駅弁には諸説ある。
でも、一般的には宇都宮説が有名だ。
「おにぎり&たくあん」というシンプル弁当はいまでもある。
駅弁販売の風景(1902年)
日本に来た外国人がSNSで紹介することも多いから、駅弁は世界的にも有名な日本文化になりつつある。
英語版ウィキペディアを見るとこんな説明があった。
Many train stations have become famous for their ekiben made from local food specialties (tokusanhin).
Ekiben were first sold in railway stations in the late 19th century, and developed at a time when meals on train were necessary during a long train journey.
19世紀後半に初めて駅弁が販売されてから、列車での長旅によって駅弁は進化していった。という部分より、前半にある駅弁の特徴に注目してほしい。
地方の特産品を取り入れた駅弁によって有名になった駅も多い。
「~駅には~弁当がある!」ということで駅名が知られていくケースは海外ではないだろう。
意外だったのは「Tokusanhin」という日本語がそのまま載っていて、「Tokusanhin」という項目までつくられていたことだ。
こんなことを調べる外国人は多いのだろうか?
地方独特の産物はどこの国にもあるけど、日本のそれはやや異常。
多種多様ないろんな特産品があることが海外とは違っていて、そのバラエティー豊かさは駅弁やお土産にあらわれているという。
(Tokusanhin are often showcased in ekiben and packaged as omiyage (souvenirs).)
日本を代表して(?)、英語版ウィキペディアで紹介されている神奈川の特産品「名物かまど」
日本語版ウィキペディアの説明を見ても、駅弁には特産品が欠かせないことがわかる。
駅構内で販売される実用的な食事という枠を越え、地域の特産品などを盛り込んだ郷土色溢れる弁当としての発展を目指すという方向性が駅弁の一つの流れとなっている。
数年前、江戸時代の旅館でいまは保存・展示されている建物に行ったとき、その時代から各地の特産品がくわしく紹介されていたのを知っておどろいた。
「るるぶ」の原点
中には特に名物がなかったところもあったらしい。
日本人はむかしから、「地方グルメ大好き民族」だった。
安倍川餅ととろろ汁は今でも有名。
ボクは浜松市民だけど、浜松の鯉鮒(こい・ふな)料理なんて初耳。
旅をしながらその地の名物を味わう感覚は、駅弁が人気の現代とまったく同じ。
むかしからあった特産品が現在のお弁当と融合して、世界的にも珍しい「駅弁」という日本文化が爆誕したわけだ。
江戸時代に特産品が発達した大きな理由に、中学校の歴史の授業でならった「蔵屋敷」の存在がある。
蔵屋敷
諸藩・旗本などが、年貢米・国産物を販売するためにおいた倉庫兼取引所。大阪に最も多く、中之島に集中した。
「日本史用語集 (山川出版)」
江戸幕府、日本全国の藩は自分たちで稼がないといけなかった。
領地内で百姓一揆が何度も起こるとか、まともな藩経営ができないと、幕府によってつぶされる可能性があったから(改易)、各藩は必死で金もうけの手段を考えていたはずだ。
くわしくはここを。
改易は領主と家臣、居城、領国などの解体を伴い大名の無力化を意味する。このため一つ間違えば反乱の原因となるため、江戸幕府側も周到な準備や配慮を行っている。
いまのように中央政府(幕府)から地方交付金なんてもらえないから、お金はないよりあった方がずっとずっといい。
このとき日本中の藩がしていたのは、その地方の特産品を「天下の台所」と言われた商業の中心地・大阪に持って行って他藩に販売すること。
戦国時代だったらこんなことは無理。
天下が統一されて平和な江戸時代になって、海上交通も発達したから、藩の武士によるこんな「出張販売」もできるようになった。
各地の年貢米や特産品をおく蔵屋敷は江戸などにもあったけど、数においては大阪が圧倒していて、大小600もの蔵屋敷があったとされる。
くわしい説明はここを。
豊臣政権が全国支配を完成させた頃から政治の中心であり有力商人たちが在住していた大坂・堺に諸大名の蔵屋敷が立てられ始めた。
大阪人の商売人としての原点はこのころだろう。
特産品が売れれば藩はウハウハで、生産者のやる気も出てくるから、特産品の生産や販売を藩が全面的に支援するのは当たり前。
それに大阪に行けば、北海道から沖縄まで各地の名産品を見ることができたし、作り方や販売方法などいろいろな情報を得ることもできる。
そんな時代が数百年も続いていたのだ。
同時代の中国や朝鮮は中央集権国家だったから、日本のように藩経営によって地方の産物を育てることなんてことはできなかった。
日本独自の特産品や駅弁という文化の背後には、長い長い歴史と積み重ねがある。
いまでは日本各地で駅弁大会が開かれていて(元祖有名駅弁と全国うまいもの大会は特に有名)、さまざまな駅弁があり過ぎて、独自の魅力を出すのは本当にむずかしくなっている。
ある意味、「駅弁戦国時代」に突入した。
実際、JR東日本のホームページもそれっぽい。
高崎駅のだるま弁当
東京駅の深川めし
日本一うまい駅弁(確かどこかで聞いた)浜松駅のひつまぶし弁当
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ekiben という英単語は知りませんでしたが、bento という英単語はもう結構古くて、おそらく80年代くらいから既に米国で使用されていたと思います。英語版Wikipedia にも出ています。おそらく、幕の内弁当のような1つのボックス内を細かく仕切った形の弁当のことを言っているのでしょう。
bento という用語は食事と関係ない分野でも使われていて、たとえばソフトウェア業界においては、小さくまとまったサブシステムをいくつか組合せて1つの大きなシステムを作る場合に、そのサブシステムのことをbento と呼んだりしていました。90年代くらいのアップル・マッキントッシュのシステムでそういう名前がついていたはずです。
神奈川に10年いたけど「かまど」食べたことないなって調べたら香川?
弁当はしゅうまい(におうけど)
たしかにekibenより先にbentoが使われていたのは想像できますね。
でもソフトウェアの概念で使うのはさすが外国人の発想です。
え?あれは香川だったんですか?
ネットで見たら神奈川の名産とあったんですけど、元は香川なんですかね。