祖国を失ってから、1948年にイスラエルを建国するまでの約2000年の間、ユダヤ人はヨーロッパ各国で「国のない民」として肩身の狭い思いをしてきた。
ヨーロッパのキリスト教徒は異教徒であるユダヤ人に差別や迫害を行っていて、16世紀にカトリック教会を否定して、プロテスタントを誕生させたドイツのルターでさえこう述べている。
「(キリスト教徒が)恐れなければならない敵はただ一人、真にユダヤ的であろうとする意志を備えた真のユダヤ人である」
「(ユダヤ人を家に迎え入れて手助けする者は)最後の審判の日、その行いに対し、キリストは地獄の業火をもって応えてくださるであろう。その者は、業火のなかでユダヤ人とともに焼かれるであろう」
ユダヤ人への迫害については「反ユダヤ主義」で確認のこと。
そんなことから多くのユダヤ人は都市の中の、周囲を壁で囲まれた「ゲットー」という居住地区で生活していて、外へ出てこられないような状態にあった。
*このへんはそのときの支配者しだいで、ユダヤ人がわりと自由な行動を認められたケースもある。
こうした中世のヨーロッパでキリスト教徒の支配が及ばない、別世界の住民として住まわされたゲットーの(居住区)のほかに、第二次世界大戦中にナチス=ドイツが侵攻した国に、ユダヤ人を強制的に移住させたゲットーもあった。
きょう3月14日は1943年に、ポーランドにあったクラクフ・ゲットーの住民全員が強制収容所へ移送されるか、殺害されてゲットーが解体された日だ。
ここではその直後、1943年4月に行われた「ワルシャワ・ゲットー蜂起」を取り上げたいと思う。
1939年にポーランドへ進攻し、首都ワルシャワを占領したドイツ軍は、市内にいたユダヤ人をゲットー(居住区)に押し込んだ。
ワルシャワ・ゲットーには最大で45万人が住んでいたという。
ユダヤ人居住区を隔離する壁が建設されている。(1940年)
建設費はユダヤ人に出させるという鬼畜。
一方、アジアにはこんな幸せな自治区があったらしい。
ユダヤ人を隔離して、そこから出られないようにするだけではなく、ドイツはそのあとゲットーにいるユダヤ人を強制収容所へ送って、毒ガスなどで殺害する「ラインハルト作戦」を実行していた。
この悪魔の作戦も、ユダヤ人絶滅を目的としたホロコーストのひとつ。
はじめは労働キャンプに送られるだけで、殺されることはないと”楽観的に”考えていたユダヤ人は、ナチスがそんな慈悲深いことはなく、「収容=即虐殺」という残酷な真実に気づくことになる。
それで1943年4月18日、ワルシャワ・ゲットーのユダヤ人が立ち上がってドイツ軍に対して戦闘を開始した。
このとき勝利したことで、ある女性指導者はこう思った。
「最高の喜びだった。明日のことなど気にならなかった。我々ユダヤ人闘士は奇跡だと小躍りしていた。手作りの火炎瓶と手りゅう弾に恐れおののいて、無敵の勇者だったはずのドイツ兵どもが退却したのだ」
でも、ワルシャワ・ゲットー蜂起の栄光はこの一瞬で終了。
手作りの火炎瓶・手りゅう弾で武装したレジスタンスでは、本気になったドイツ軍に勝つこと不可能だった。
ゲットーの電気や水を完全に止めたうえで、ドイツ軍が火炎放射器をもって攻めてきたから、住民は建物の火災を消火することもできず、地下壕へ逃げ込むしかなかった。
そのあと一方的な虐殺が始まる。
ドイツ軍は一つずつ地下壕を発見していって手りゅう弾や催涙ガスを地下壕に放り投げ、ユダヤ人たちが這い出てきたところを掃討して片づけていった。
ワルシャワ・ゲットー蜂起では1万人以上のユダヤ人が殺害されて、生き残った数万人も強制収容所へ送られて殺害された。
全体的には目を覆うほどの悲劇でも栄光の光はある。
この蜂起はユダヤ人にとっては、ナチス=ドイツの迫害に対して初めて武力で戦いを挑んだという輝かしい意義があり、これがイスラエル建国への大きなモチベーションになった。
「国なき民」としてヨーロッパ各国で迫害を受けてきたユダヤ人は、母国を持ったことで、やっとその差別や苦しみから解放されたのだ。
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