【憎きソ連兵め】満州・樺太の日本人が、戦後に見た地獄

 

俳優の宝田明さんが今月14日に亡くなった。
実質的に日本の統治下にあった満州(中国東北部)で小学校時代を過ごした宝田さんには、お腹に大けがの痕がある。
ソ連兵に撃たれたものだ。
「アジアのパリ」と呼ばれた満州のハルビンに住んでいた宝田さんは、「和(日)・韓・満・蒙・漢」の民族が共存していた当時の雰囲気を「五族協和」を体現したような状態という。

でも1945年8月15日、日本がアメリカに降伏するとそんな満洲の雰囲気が一変。
日本が降伏を発表したことでアメリカやイギリス軍は停戦したのに、ソ連は国際法に違反し満州へ攻め込んできた。
でも満洲にいた宝田さんは、白系ロシア人の友だちもいたからソ連軍が怖いとは思わなかったという。
そんな少年の想像はすぐに破壊された。

週刊新潮(2021年6月10日号)

しかし、あにはからんや、ソ連軍は満洲で暴虐、略奪の限りを尽くします。
挙句の果てに婦女子に対する凌辱も……。日本の軍隊は武装解除され、兵舎に閉じ込められていたので街は無政府状態です。

「ソ連兵に銃撃された傷が今でも痛む」 俳優・宝田明が明かす凄絶な戦争体験

 

そのころ宝田さんは、通りを歩いていた日本人女性が2人のソ連兵に捕まって、裏路地に引きずられてレイプされたのを目撃した。
「助けてください!」と女性が叫んでも、自動機関銃で武装した兵士に住民はどうすることもできない。
その時に感じた「憎きソ連兵め!」という思いはいまだに消えないという。

宝田さんがソ連兵にお腹を撃たれたのはそのあとだ。
手足をしっかりと固定された状態で、「君は日本男児だろう。それなら歯を喰いしばってがんばれ」と医者から言われ、麻酔なしで熱したハサミでジョキジョキと腹を裂かれたと記事にある。
お腹のなかから出てきた弾は、人道上の理由で使用が禁止されていたダムダム弾だった。

満州から日本へ引き揚げるのも必死で、自分の子どもと引き換えに、地元の中国人から泣きながら食料を受け取る婦人もいた。

宝田さんが初主演した「ゴジラ」の試写で、敵のゴジラが攻撃されて抹殺されるの見て「ゴジラがかわいそうだ」と号泣したという話がある。
センチメンタルとかお花畑とは無縁で、本物の戦いの恐怖や残酷さを誰よりも知っているからだろう。
でも、戦争の悲惨さを語ることができるのは、生き残った人だけだ。

 

樺太にあったソ連との国境にいる日本の警察隊員

 

太平洋戦争のとき日本とソ連は、互いに攻め込まないという日ソ不可侵条約を結んでいた。
これでソ連は西のドイツ軍との戦いに、日本は南の米英軍との戦いに集中することができるようになる。
戦線の拡大で南方に兵士が送られて、満州や樺太(カラフト)には日本軍の守備隊はあまりいなかった。
そんな状態のときに不可侵条約を破棄して1945年8月11日、ソ連軍は40万人ほどの日本人が暮らす樺太への攻撃を開始した。
日本が8月15日に敗北を認めると、米英軍はすぐに全軍の動きを止めたけどソ連軍はこれを黙殺する。
攻撃を加え続け、民間人の示す降伏の印も無視したことで犠牲者はどんどん増えていく。

豊原駅には白旗が掲げられ、広場の救護所には赤十字の対空標示があったが、何度も空襲が繰り返されて100名以上が死亡、400戸が焼失した。全ての民家の屋根には大きな白旗が取り付けられたがソビエト軍は猛爆撃を行った。

樺太の戦い

 

この混乱のなか、通信が途絶えてしまうと大変だからということで、ソ連軍が近づいてきても業務を続けた女性電話交換手が集団自殺を図った「真岡郵便電信局事件」が8月20日に発生。

攻撃から逃れるために本土へ人々を送る船が準備され、女性や子ども、老人が先に小笠原丸、第二号新興丸、泰東丸へ乗り込んで出航した。
すると22日にソ連軍の潜水艦の攻撃を受けて、1700人以上が殺害された。(三船殉難事件

樺太の戦い全体では、4000人近い民間人の死者が出たといわれている。
敵が降伏宣言をしたあとの戦闘はルール違反だから、真岡郵便電信局事件も三船殉難事件も本来なら起こらないはずのものだった。
「樺太の戦い」で多くの日本人が無念の死をとげたけど、それは無駄死にではなかった。
これと占守島の戦いでの激しい抵抗によって、ソ連は北海道占領を断念したという見方があるのだから。

 

ソ連軍の合意、国際法違反によって、満州や樺太にいた多くの日本人の血が流されて、人々は地獄のような目にあった。
でも、「憎きソ連兵め!」と憎悪や敵意をもっていいのは、直接その体験をした人だけだ。
いまのほとんどの日本人やロシア人は当事者ではないし、生まれる前のことについて責任や罪を負わせるわけにもいかない。
戦時中は日本軍もヒドイことをしたのも事実。
アニメや映画ではなくて、戦争をリアルで知っていた宝田さんは、子どもが銃で撃たれて女性は凌辱されて、家族の絆も引き裂かれる戦争の悲惨さを強調して、反戦平和の活動を行っていた。

21世紀になっても紛争ではなくて、まさか国家間の戦争が起こるとは思わなかった。
かつての満州や樺太と、似たような地獄が早く終わりますように。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。