最近、ロシアの動きがきな臭い。
第二次世界大戦のときに、日本が行ったという「蛮行」を国の内外へ積極的にアピールしているのだ。
くわしいことはこの記事を。
読売新聞の記事によると、ロシアが日本の戦争責任をいま強調する理由はコレだ。(2021/09/14)
前身のソ連が1945年8月に日ソ中立条約を破って対日参戦し、北方領土を占領したことの正当性を内外に訴える一方、対米欧で共闘する中国を巻き込む思惑もあるようだ。
日本が「細菌兵器も検討」と証拠文書、歴史認識に神経質なロシアの思惑
約束を破って日本へ攻め込んだことについては、「日本軍の残虐行為をやめさせ、アジアの人々を解放する唯一の方法だった」と正当化する。
といっても、ロシアは日本に謝罪や賠償を要求しているわけではない。
このところ欧米とロシアの関係が悪化しているから、日本を悪者にすることで中国とタッグを組みたいらしい。
では、日本の「蛮行」を非難するロシア(旧ソ連)がしたことを見ていこう。
まずは1920年(大正9年)に起きた、「尼港事件(にこうじけん)」という日本人虐殺事件。
*「尼港」とはニコラエフスクという都市の日本語表記。
北海道の上にサハリンがあってその向かい側、アムール川の河口に尼港(ニコラエフスク)があった。
*現在の都市名はニコラエフスク・ナ・アムーレ。
このときロシアは内戦(1917年~1922年)の真っ最中。
共産主義者らで構成され後の勝者となる「赤軍」と、ロシア右派らで敗者になる「白軍」とに分かれて戦っていた。
日本は積極的ではないが白軍を支援したから、赤軍にとっては「敵」とみなされる。
状況は白軍の劣勢。
各地の戦闘で負け続けた結果、多くの日本人が住む尼港(ニコラエフスク)に赤軍の非正規軍隊「パルチザン」が近づいてきて、やがて4000人のパルチザンに包囲された。
ここに駐留していた日本軍は流血の事態を避けるため交戦はせず、尼港をパルチザンに明け渡すことをきめた。
いまとなってはこれが「終わりへの始まり」となる。
このときの尼港開城の条件については日ソで見解が食い違っていて、どちらが正しいのかは歴史の闇の中にあって、いまではもう誰にも分からない。
日本側は、
「日本とパルチザンの両軍が尼港の治安を維持すること。裁判なくして市民を銃殺しないこと。ほしいままに市民を捕縛したり、略奪したりしないこと」
という条件で合意したというが、パルチザン側はそれを認めなかったという。
そしてパルチザンが入ってくると、白軍の兵士や将校、関係していた商人や資産家などが逮捕され、拷問を受け多くの人が処刑された。
女性や年少の者も投獄され同じ目にあった。
逮捕や略奪は増え続け、尼港の住人はパニック状態になったという。
白軍には手を出さないという約束だったのに、それを破ってパルチザンは白軍の人間を虐殺し、略奪や女性を陵辱するなどやりたい放題を始めた。
日本に保護を求める人が続出したことから、日本軍はパルチザン側に出向いて市民への残酷行為をやめるよう意見した。
するとパルチザンは日本軍に武装解除を要求する。
このとき市内では、パルチザンが朝鮮人や中国人を集めて、革命記念日に日本軍を抹殺するというウワサが流れていた。
だからここで武器を渡したら、自分たちや尼港の住民がどうなる分からない。
しかもその期限は翌日の正午だとパルチザン側に通告されたことで、日本軍は自衛のため決起した。
これが日本の主張で、これに対してソ連側は、
「赤軍と日本軍の関係は友好的なものであった。しかしながら、これは日本側が赤軍を欺いていたのである」
「日本軍は講和条約の条件を破り、突然攻撃してきた」
と言う。
どちらが正しいのかはこれも闇の中だ。
ただアメリカ人のマキエフがした証言は日本と一致している。
「赤軍はニコラエフスク市街に侵入後、旧ロシア軍人、官吏等2,500名を捕縛し、そのうち200名を惨殺するなどの暴虐を行ったため、日本守備隊長が抗議を申込むと赤軍はかえって日本軍の武装解除を要求し、日本守備隊長がこれを拒絶しついに日本軍と赤軍との間に戦闘が開始された」
過程はどうあれ、結果は目を覆いたくなるほど悲惨だ。
戦闘で廃墟となった尼港
日本軍は戦闘に負けて壊滅し、多くの日本人住民は虐殺され、あわせて700人ほどがパルチザンに殺害された。
事件直後に現地調査を行って報告書を作成したロシア人のグートマンは、パルチザンに捕まった日本人の女性や子どもの運命をこう書く。
彼らの死体は、雪の穴の中に投げ込まれた。3歳までの特に幼い子供は、生きたまま穴に投げ込まれた。(中略)母親の死体の側で、雪で覆われた。死にきれていない婦人のうめき声や小さなか弱い体を雪で覆われた子供の悲鳴や泣き叫ぶ声が、地表を這い続けた。そして、突き出された小さな手や足が、人間の凶暴性と残酷性を示す気味悪い光景を与えていた
パルチザン側は国際法に違反して日本領事館を攻撃する。
もう殺されるか自殺するかの二択しかなかった日本領事の妻は、泣きながら子どもに晴れ着を着せたという話には本当に胸が苦しくなる。
もちろんこれは氷山の一角。
細かく書いたら気分が悪くなるのに、全体像は上をクリックして確認してほしい。
虐殺事件を起こした赤軍パルチザンの幹部
いまとなっては尼港事件は歴史の1ページで、誰かを恨むべきではない。
ただ供養の意味でも、こんな事件があったことは日本人として知っておいたほうがいい。
これとは別で現在の問題として、ロシアが日本の「蛮行」や「戦争責任」を強調していることに対しては、日本政府はキッチリ反論しておくべき。
産経新聞も社説でこう言う。(2021/9/21)
根拠に乏しい荒唐無稽な言い分だが、日本が反論せずに沈黙していれば、虚説が独り歩きして世界に広がる恐れがある。
露の歴史宣伝 日本政府は厳しく抗議を
日本の沈黙が黙認と理解されて、誤った歴史認識が国際社会に広がると、あとあと超面倒くさくなるのは学習済みのはず。
気になるのは尼港事件についての日本の辞書の記述だ。
日本の主張を無視して、一方的にソ連側の見解を記載しているようなものがある。
例えば「百科事典マイペディア」の解説はこんな感じ。
「パルチザン部隊との間で降伏協定を結んだが,3月日本軍はそれを破って奇襲,敗北し」
これは「日本大百科全書」の解説。
「日本側が不法攻撃に出たため、パルチザンの反撃を受けて日本軍は全滅し」
日本の非や責任を強調していて、当時の日本の主張したパルチザンの合意違反や白軍への蛮行はスルー。
いまのロシアが日本を悪く言うことより、日本を意図的に悪者に見せようとする国内勢力のほうが深刻な問題だろう。
犠牲者となった日本人の1人は監獄の壁に、 「大正九年五月24日午后12時忘ルナ」という遺書を残した。
旧ソ連による残虐行為はまだある。
1945年8月15日に日本が降伏したあと、ソ連軍は満洲の敦化(とんか)にいた多くの日本人女性を監禁して強姦し、集団自殺に追い込む敦化事件を起こした。
議論中にもソ連兵の乱入があり、隣室からも女性たちの悲鳴や「殺して下さい」などの叫び声が聞こえてきたため、自決することに議論が決した。
1000人ほどの日本人を虐殺した「葛根廟事件」もあるのだが、日本ではほとんど知られてないと思う。
これで自分たちは日本軍の「蛮行」をアピールし、「日本軍の残虐行為をやめさせ、アジアの人々を解放する唯一の方法だった」と胸を張る。
国際社会での自国の立場を有利にするために、これぐらいの主張をするのは他の国もやっているはずだ。
おとなしい日本はこの図太さを見習ってもいい。
せめて反論ぐらいはしろと。
でも、70年以上前の出来事を現在に重ねてはいけないし、政治の動きと市民を一緒にすべきでもない。
一般のロシア人には日本文化が大好きな人も多いのだから。
時事通信の記事(2021/10/03)
モスクワで日本フェス=和装のロシア人ら楽しむ
ロシアで毎年行われている日本文化フェスティバルが今年も開幕し、モスクワの植物園にある日本庭園では、着物を着たロシア人らが写真撮影を楽しんだ。
「日本の文化にずっと関心があった。現在は日本の踊りを習っており、浴衣や和服を着る」と話すモスクワ在住の女性は、「日本への愛」からこのイベントに参加したという。
この日本フェスでは柔術や空手の体験をしたり、漫画の描き方や和楽器について学ぶなど、ロシア人がいろんな日本文化に触れることができる。
知人にも日本好きで、生け花教室に通っていたロシア人がいる。
彼女は小さな生け花で、さまざまな思想や価値観を表現する日本人の発想に敬意を持つと言う。
過去は過去で、政治は政治。
悲劇を繰り返さないためにも、いまはお互いの文化を知って楽しむべきだ。
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