ネットで「きょうの出来事」を見ていると、近ごろはウツになる。
太平洋戦争が終結する1945年の3月は、日本にとっては闇の出来事の連続だった。
10日には10万人以上が亡くなって、一度の爆撃では人類史上最大の犠牲者を出す東京大空襲が起き、そのあと本土への爆撃が本格化して12日には名古屋大空襲が行われた。
そしてきのう23日には沖縄で、負傷した日本兵の看護をするため200人以上の女子生徒が「ひめゆり学徒隊」として動員された。
最終的には10人の集団自決を含めて130人以上が戦争の犠牲となり、いまでは「悲劇の少女たち」として知られている。
その2日前の3月21日には、自爆攻撃であるロケット特攻機の「桜花」が初めて実戦で使われた。
母機となる飛行機から切り離されたあと、大型爆弾に翼をつけた小型飛行機のようなものが米軍の艦船に体当たりして、パイロットの命と引き換えに大きなダメージを与える。
こんな発想はありえなかったから、米軍は「桜花」を有人とは思っていなかった。
この攻撃を指揮して亡くなった野中少佐が「特攻なんてぶっ潰してくれ」と言うほど、これは人命軽視の無慈悲な兵器。
神風特攻隊や桜花のように日本軍の自爆攻撃というと、「空」のイメージが強いけどその逆もあった。
魚雷にヒト1人が乗れるスペースを作った「回天」という自爆兵器もあって、太平洋戦争末期の敗戦濃厚の状況の中でこれが実戦投入される。
日本軍初の特攻(自爆)兵器がこの人間魚雷、回天だ。
脱出装置のないこの回天に乗って出撃したら、敵の艦船にぶつけることができても失敗しても、どっちにしても乗員の命はなかった。
この兵器に乗り込んでハッチが閉められたとき、彼らが何を思ったか想像すると胸が苦しい。
潜水艦に搭載された回天
回天の攻撃を受けて沈む給油艦「ミシシネワ」
搭乗員の命を犠牲にする「特攻」の考え方が、当時のアメリカ人にはなかった。
それで米軍のある中将は「桜花」と同じく回天も無人で、この魚雷は母艦によってコントロールされていると本気で信じていた。
ある少将はこう言う。
「我々は一日終日、そして次の日も、今にも爆発するかもしれない火薬庫の上に座っている様なものだった。」
これは1944年11月に、初めて回天を使った攻撃が行われたあとの様子。
ボートを下ろして回天の破片を回収したところ、日本語で何か書かれた木と金属でできた腰掛と女学生が差し入れた座布団を回収した。
「回天」という名称には、「天を回らし戦局を逆転させる」という意味がある。
でも、そんな願いがかなうことはなかった。
> 【人間魚雷】米軍には理解不能だった日本軍の兵器・回転
さすがの人間魚雷「回天」でも、太平洋戦争末期の戦局を「回転」させることは無理でした。
圧倒的な戦力のロシアから攻撃・侵略を受けているウクライナは、大統領と自国民の意志および他国の支援によって、こののち戦局を回転できるのでしょうか?