駅前、図書館、ショッピングモールなどなど、浜松市内のいろんなところで出会う「家康くん」。
浜松にある大学へ通っていていまは母国にいるドイツ人に、ドイツでもこんな「ゆるキャラ」があるかきいたら、「あるわけないヨ」と即答。
でも、それに近いものを挙げるなら、彼が住んでいた都市アーヘンでよく見たカール大帝だろうと言う。
世界的にも有名なカール大帝はアーヘンのシンボルになっているから、あえて言えば浜松市にとっての「家康くん」と似ている。
神聖ローマ帝国の初代皇帝でドイツの英雄カール大帝が生まれたのは742年4月2日だから、きのうが彼の誕生祭になる。
*キリスト教(カトリック)の頂点に立つローマ教皇を除けば、神聖ローマ帝国皇帝は中世の西ヨーロッパにおける最高支配者だ。その初代皇帝にはカール大帝と962年のオットー大帝という説があって、このへんは解釈の仕方による。
そのドイツ人いわく、アーヘンの街で目にするカールの像や絵は偉大な皇帝としての威厳を表しているから、家康くんのような「かわいい」の要素はまったくない。歴史上の偉人に「ユルさ」を求めるのは日本人らしい発想で、ヨーロッパ人にそんなセンスはあまりないらしい。
トランプの「ハートのキング」のモデルがこのカール大帝だ。
十字架と剣を持ったカールは信仰にあつく強大な皇帝で、キリスト教世界にとっては理想的な人物。
神聖ローマ帝国の紋章である「黒い鷲(アドラー)」は現在のドイツの国章で、サッカー代表のユニフォームにも描かれている。ことしのW杯で日本と対戦するからご注目あれ。
フランク王国の王として即位したカールは全方向で戦って領土を拡大し、いまのフランス、オランダ、スイス、オーストリア、ドイツなどを支配下におさめてヨーロッパを統一して安定をもたらした。
そして800年に、ローマ皇帝レオ3世によって戴冠されてローマ皇帝となる。
現代の西ヨーロッパの基盤を築いたカール大帝は「ヨーロッパの父」と呼ばれている。
戦いに勝って領土を増やしていき、新しい平和な時代を始めたという点では家康も同じだ。
カール大帝が支配した領地(画像:cyberprout)
青色:カール即位した時のフランク王国
赤橙:カールが獲得した領土
黄橙:カールの勢力範囲
現代と1000年前のこの時代では、人々の移動は流動的だし国境もまったく違う。
だからドイツ人が「カール」と呼ぶこの偉人を、フランス人は自国の英雄として「シャルルマーニュ」と呼んでいる。
高校生のころ世界史の教科書に、「カール(シャルルマーニュ)」と書いてあって、違いが分からんかったけど、これはドイツ語かフランス語かの違いでまったく同じ人物だ。ややこしいわ。
だから第三国では”中立”の立場から、英語読みの「チャールズ大帝」を使うこともあるらしい。
こんなふうに複数の国が取り合うになるのは、カール大帝が大英雄だからこそ。
その逆がヒトラーとかいう悪魔だ。
「ヤツはオーストリアで生まれたオーストリア人なんだ。」とドイツ人が言うのを聞いたことがあるけど、ヒトラーを「自国の人物」とするオーストリア国民はきっと皆無で、きっとドイツに押し付けるはず。
人の移動や国境が流動的だと、こういう面倒くさいことになる。
これはドイツが誇る世界遺産のアーヘン大聖堂。
9世紀にカール大帝によって建てられて、彼が亡くなると遺体はここに葬られた。
アーヘン大聖堂は10~16世紀にかけて、神聖ローマ帝国の皇帝の戴冠式が行われた場所としても知られている。
荘厳に満ちた空間で、「ゆるい・かわいい」と無縁の世界だ。
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