外国人からみると、日本人の信仰や宗教心はかなり変わっている。
日本人の友人から初詣に誘われたインド人が、「行くのはお寺ですか、それとも神社?初詣というのは仏教か神道のどっちの行事ですか?」とたずねると、その日本人は「お寺でも神社でもいい。アクセスが楽とか、近くに美味しい物があるといった条件で決めればいい。初詣がどっちの行事かは知らない」と言う。
仏教はインドで生まれた宗教で、神道は日本固有の宗教だから、両者は本質的にまったく別のものだ。
でも日本人は、お寺と神社、仏教と神道をごちゃ混ぜにしているから、日本に長く住んでいるのに自分も区別がつかないでいる。
日本人に聞くと、「鳥居があれば神社、なければお寺やで」ぐらいのことは教えてくれるけど、それぞれの宗教の歴史や考え方について質問すると、「あとはグーグル先生に聞いて」と言われる。
つまり、日本人も神道と仏教の違いがよく分かってない。
だからといって、それで困ることはないらしい。
これはインドなら考えられない。
外国から伝わったイスラム教とインド生まれのヒンドゥー教は完全に別の宗教で、この2つの違いが分からないとか、見分けがつかないというインド人は絶対にありえない。
そんなことを話すインド人と同じ感想を持つ外国人はよくいる。
起源も歴史も違う宗教が日本人の頭の中で一体化していて、神社に行けば神さまに、お寺では仏像に手を合わせて頭を下げる信仰スタイルを、不思議に感じる外国人は多い。
さて前回の記事で、日本に新しい仏教思想や、インゲン豆や西瓜などをもたらした中国の僧・隠元隆起(いんげん りゅうき)を紹介した。
日本の仏教や文化の発展に大きな貢献をしたことから、隠元には江戸時代に後水尾法皇から「大光普照国師」の名が贈られた。
それから50年ごとに、諡号(しごう)を贈ることが皇室の慣例となる。
最近でいうと、大正天皇が「眞空大師」、1972年(昭和47年)に昭和天皇が「華光大師」、ことし令和4年には今上天皇から「厳統大師」の名(追号)が隠元に与えられた。
この3つの名前に共通しているのが「大師」。
弘法大師で有名な「大師」とは、特に徳があると認められた僧に天皇が贈る称号のことで、9世紀に清和天皇が最澄らに与えたのがその始まりだとか。
天皇は天照大神の子孫で神道の頂点に立つ存在なのに、後水尾法皇は隠元に敬意をはらって名誉ある名を賜った。
日本の歴史や文化について学んでいたアメリカ人から、「天皇が仏教を尊重するというのは変ですね」という話を聞いたことがある。
でも彼の見方では、天照大神は女性でシャカは男性だから、組み合わせとしてはいい感じ。
6世紀の敏達(びだつ)天皇も宗教には寛容で、蘇我馬子が「仏教を信仰したいです」と言えば、それをすぐに許可した。
もちろん反対派もいた。
日本の神々を崇拝する豪族の物部 守屋(もののべ の もりや)がこれに激怒し、仏教推しの蘇我氏と神道推しの物部氏が対立して、宗教をめぐる戦いに発展したことはこの記事で書いたとおり。
この丁未(ていび)の乱で聖徳太子が熱心な仏教信者となり、大阪の四天王寺を建立して仏法を日本に広く伝えた。
703年には持統天皇が天皇として初めて仏教式に火葬されたし、京都にある泉涌寺(せんにゅうじ)では鎌倉時代から幕末にかけて天皇の葬儀が行われて、いまでも天皇や皇后、皇族の尊牌(位牌)が安置されている。
こんな感じに天皇・皇室と仏教には、昔から深いつながりがあるのだ。
かといって神道から離れることはなく、天皇は日本の神々も同じぐらい大事にしてきた。
この組み合わせが日本人の信仰や宗教心の「原点」になっている。
天皇や皇室が仏教を崇拝した理由は、聖武天皇が奈良の大仏を建てた経緯をみれば分かる。
8世紀のこの時代、疫病(天然痘)が大流行して人がバタバタと死に、政治の中枢にいた貴族の藤原武智麻呂・房前・宇合・麻呂の四兄弟までもこの病気で亡くなった。
ほかにも飢饉や地震といった天災に加えて、九州では政権への不満から「藤原広嗣の乱」という人災も起きて、日本はどうしようもない混乱状態におちいる。
そんな乱れた世の中を立て直し、不安でいっぱいの人たちを安心させるために、聖武天皇は仏教の力を利用することにした(というか仏教にすがった)。
国を安定させて、人びとに笑顔を取り戻したいという天皇の願いは大仏造立の詔から伝わってくる。
「私は天皇の位につき、人民を慈しんできたが、仏の恩徳はいまだ天下にあまねく行きわたってはいない。三宝(仏、法、僧)の力により、天下が安泰になり、動物、植物など命あるものすべてが栄えることを望む。」
日本の天皇にとって大事な仕事は、国民を安全や幸せにすること。
そのために皇室は神道と深く結びついている宮中祭祀を行ってきたし、これからも行われていく。
貧困や疫病、災害に苦しむ人たちを救うことが最も重要だから、そのための手段は、神道の神に祈ることでも大仏や寺院を建立して仏に祈ることでもいい。
日本人の信仰では「人」が先にあって、神や仏やその後にある。
昔のヨーロッパではこの順番が逆で、神が最上位にいて人間はそのはるか下にいるから、神のために人を殺すことは「正義」とされていた。
だからドイツの三十年戦争やフランスのサン・バルテルミの虐殺など、神の名の下で万単位の人が殺害されてしまう。
特にそういう文化圏から来た外国人には、人のために神や仏がいるという日本人の伝統的な価値観がよく分からないと思う。
日本人にとってこれは当たり前のことだから、疑問に思ったことがないし、説明を求められても困るという人が多い。
逆に日本人には、命以上に大切な価値観や理念があるということを理解するのがむずかしいかも。
日本の歴史は海外とはかなり違っていて、それを基に形成された常識も外国人とはまったく違う。
日本人にとっては違う宗教を組み合わせる「ハイブリッド信仰」が普通だけど、海外では「1人1宗教」が一般的だ。
だから、
外国人「仏教と神道、お寺と神社の違いって何ですか?」
日本人「それは、鳥居があるかないかですね。あとはグーグルで」
というやり取りはこれからもきっと続く。
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