イギリスの黄金期ヴィクトリア朝 繫栄の理由/インド人の恨み

 

きのう5月24日はイギリス・ハノーヴァー朝の女王ヴィクトリア(1819年~1901年)の誕生日だった。
ヴィクトリア女王は現在のエリザベス2世にとっては高祖母、つまり「ひいひいおばあさん」にあたる。

彼女の統治時代、イギリスはアメリカやアフリカ大陸、インドや東南アジアなど世界中に支配地をもっていて、「太陽の沈まない国」(帝国内のどこかでいつも太陽が昇っている)と呼ばれた。
「太陽の沈まない国」は歴史上、ハプスブルク家のスペイン帝国と大英帝国だけ。

そのころ世界帝国だったイギリスはこんな感じですよ。

・地球上に広大な領土があった。
・産業革命がおこって経済が飛躍的に発展した。
・フィッシュアンドチップスが生まれた。
・地下鉄や白熱電灯が登場した。
・いまも世界的に有名な小説家のディケンズ、劇作家のオスカーワイルドらが誕生した。

考えられないようなカネや土地をもっていて、文化や国民生活を大きく発展させたヴィクトリア女王の統治期間(1837年~1901年)は、どうみても全イギリス史における絶頂期の黄金期。
そんなワケでこの時代を特にヴィクトリア朝(Victorian era)という。
これは代々つづく王朝の名前ではなくて、ヴィクトリア女王ひとりが統治した期間のことだからカン違いしないように。
この時代の王朝はあくまでもハノーヴァー朝。
それだけヴィクトリア時代は特別だったということになる。

産業革命が生んだイギリスの国民食・フィッシュアンドチップス

アフリカのヴィクトリア湖、香港のヴィクトリア・ハーバー、カナダのヴィクトリア島などの地名はこの偉大な女王にちなんで付けられた。

さらにいうと、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世やロシア皇后のアレクサンドラ(ロシア皇帝ニコライ2世の妻)はヴィクトリア女王の孫になる。
これは、9人いた彼女の子どもが欧州各国の王室や帝室の人間と結婚したからで、ヴィクトリア女王は「ヨーロッパの祖母」とも呼ばれた。
ヴィクトリアはいろんな意味で別格で特別な存在だった。

 

ヴィクトリア女王

 

とはいえ、人間のすることに奇跡なんてものはなく、そうなるだけのタネやしかけ、理由がある。
ヴィクトリア朝の繫栄は、それまでにイギリスが海外の利権をめぐって、オランダやフランスと戦って勝利したことが土台になっている。
英蘭戦争や七年戦争で勝ったイギリスは力を強めて、相対的にオランダやフランスは勢いを失った。
19世紀ごろ、ナポレオンとかいう戦争の天才が現れて、ヨーロッパで暴れまわり(ナポレオン戦争) 、スペイン・ドイツ・イタリア・オランダなどがダメージを負った一方、島国のイギリスはほぼ無傷だったことも影響している。

このうえでイギリスは世界中に植民地を築き、それらの犠牲のうえにヴィクトリア時代という黄金期を実現させた。
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まえにインド人とスリランカ人と話をしていたとき、両国が経験したイギリスによる植民地支配の話になる。
*ヴィクトリア女王が初代インド皇帝となって、インドとスリランカは大英帝国の統治下にあった。

インド人もスリランカ人も、「あの時代のイギリス人は、控えめに言って悪魔ですね」と言うことはなく、イギリス統治を100%の善や悪と考えることは不可能で、良い面・悪い面が入り混じった複雑なものだと認めていた。
イギリス支配で腹立つことは、彼らがインドやスリランカから、ダイヤモンドやサファイアなどの貴重な貴重な鉱山資源を奪いまくったことだという。
軍事力を背景に土地を占領され、資源を略奪された側からすると、そのころのイギリスは巨大な強盗。

大英帝国の繫栄は、特にスリランカを含めたインドの犠牲のうえに成り立っていることは当時のイギリス人も認めていて、イギリス領インドは「イギリス国王の王冠にはめ込まれた最大の宝石」と表現された。
インド総督のカーゾンはインドの重要性をこう訴える。(イギリス領インド

「我々は、インド以外の全ての植民地を失っても生き延びることができるだろう。しかし、インドを失えば、我々の太陽は没するであろう」

インドにしてみればイギリスを手に入れたことで太陽を失い、独立して再びよみがえったようなものなんだが。
「あのころイギリスが奪っていった資源がいまでもあったら、インドはもっともっと豊かな国になっていたはずですよ」というインド人の恨みにはスリランカ人も完全同意。

 

ヴィクトリア朝の末期になると植民地内で争いが起こったり、ドイツ帝国が力をのばしたりして、大英帝国の輝きにも陰りが見えてきた。
ヴィクトリア女王が亡くなった翌年1902年には、南下をねらうロシアにインドを奪われることを危惧したイギリスは日本と同盟関係を築く。

日本とイギリスの関係 19世紀の日英同盟と重なる21世紀のいま

その後、2度の世界大戦を戦ったあと、インドやスリランカなど世界各地の植民地に独立されちゃって、大英帝国は完全終了となる。
イギリスは夢から覚めて、ただの島国へ戻った。
アジア人やアフリカ人の血の上に大英帝国の繫栄があったわけだけど、知り合いのイギリス人はヴィクトリア女王やその時代を全体的には好意的にみている。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。