1871年のきょう6月10日は、当時の朝鮮政府の「傲慢と無知」が悲劇を招いた日。
1866年に、アメリカの商船ゼネラル・シャーマン号の乗組員全員が朝鮮で惨殺された「ジェネラル・シャーマン号事件」が起こり、5年後の6月10日にアメリカ軍が江華島へ攻め込んだ。
*江華島は現在のソウルから車で2時間のところ。
このとき始まった戦闘について、韓国の中学生の歴史教科書にはこんな説明がある。
戦闘がふたたびくり広げられた。アメリカ軍は江華島を攻撃し、数多くの朝鮮兵士ちが壮烈な戦いをくり広げた。彼らは結局退いた。
「躍動する韓国の歴史 (明石書店)」
これを読むと、まるで「アメリカ軍が撃退された」と思ってしまいそうだが、現実はまったく違う。
この当時のアメリカ軍と朝鮮軍では持ってる武器のレベルが段違いで、英語版ウィキペデアは一切の忖度なしでこう書いている。
(United States expedition to Korea )
「The Koreans were armed with severely outdated weapons」
(ひどく時代遅れの武器で武装していた)
「The poorly armed Korean forces」
(貧弱な武装の朝鮮軍)
でも、朝鮮の兵士はあきらめず、必死に戦ったのは事実。
武器がなくなると、彼らは石を投げてアメリカ軍に抵抗したという。
(the Koreans even ended up throwing rocks at the attackers.)
終わってみれば、この戦闘での朝鮮軍の死者は240名以上、アメリカ軍は3名だけという圧倒的な差。
そもそも戦ってはいけなかったのだ。
アメリカ軍が朝鮮軍を撃破し、武器や軍旗を戦利品として持って帰ったこの事件を「辛未洋擾」(しんみようじょう)という。
朝鮮軍の巨大な軍旗・帥字旗
韓国政府の強い要望でこの旗がアメリカから帰ってきて、韓国では大きなニュースになる。
聯合ニュース(2007.10.22)
辛未洋擾で米国持ち帰った帥字旗、136年ぶり帰還
「辛未洋擾」の結果は、80倍以上の犠牲者を出した朝鮮軍の惨敗で、当時のアメリカ政府も「勝利(their victory)」と認識していた。
にもかかわらず、朝鮮政府の最高実力者である大院君は、
「西洋の人の船が噴き出す砲煙が天下を覆っても、東方の太陽と月は永遠に輝く」
と、”勝利”を祝ったというから終わってる。
こんな人間のために、命をかけて戦った兵士もいたのに。
でもこれは過去の歴史になったのだろうか。
いまの韓国政府はもう、こんな「精神勝利」をしていないのか。
アメリカに奪われて、136年ぶり帰還した旗を見て「バンザーイ」とか言ってる場合じゃなくて、いまの韓国の政治家が国際情勢をしっかり理解しないで、根拠もなく自信過剰になっていると、またこの悲劇が繰り返されるかもしれないと中央日報は警告する。(2009.06.10)
韓国の為政者らにも、帥字旗は「恥辱の過去の歴史を記憶しろ」というメメント・モリ(Memento Mori 死の警告)に迫る。
【そのときの今日】朝鮮軍の血で染まった辛未洋擾、傲慢と無知が呼んだ悲劇
韓国がアメリカを敵に回していいことは何もない。
アメリカ軍に派遣された朝鮮の使者
日本の新聞が文大統領に「”反日”体質・歴史のわい曲」と批判。
朝鮮の国防力が非常に悪かったです。
明国に仕えて北方の女真族や南の倭寇を防ぐ程度に満足した国でした。高麗時代には中国とは実利外交を行い、時には和親になり、時には対立したため、強力な軍事力を維持しましたが、朝鮮は開国から明国に事大するという概念を持っていたため、もはや中国は警戒の対象ではありませんでした。豊臣秀吉の日本の侵略で1か月も経たないうちに漢陽が陥落したのも軍事力が極度に弱かったからです。それまで朝鮮は200年間戦争というものはありませんでした。
朝鮮末期には、その弱い軍事力さえ弱まりました。「国」とも言えないほどでした。
そのような国に強力な武器がありえず、先進強国である米国の武力に勝つ方法がありませんでした。
この時代は日本も力がなく、欧米列強は戦う相手ではなくて学ぶ対象でした。
最期まで戦った兵士もそうですが、朝鮮政府の対応のミスで苦しんだ国民は多かったと思います。