昭和天皇の誕生日である4月29日(昭和の日)は、日本にとっては、不幸なテロ事件が起きた日でもある。
昭和7年(1932年)の天長節(天皇誕生日)のこの日、尹 奉吉(ユン・ポンギル)が上海で開かれた祝賀式で陸軍大将の白川義則や医師の河端貞次を爆殺し、多くの人に重傷を負わせた。
(上海天長節爆弾事件)
後に外務大臣となった重光葵後はこの事件で片足を吹き飛ばされたから、1945年に行われたアメリカとの降伏式典では杖をついて歩くことになる。
同じ人物でも国によって価値観や考え方は違うから、日本にとって尹 奉吉はテロリストでも、韓国では正義を行なった愛国の英雄だ。
だから韓国の中学生用の歴史教科書で彼は「義士」、すばらしい人物として紹介されている。
彼の義挙は国内外で独立のためにたたかっていた人々に希望と勇気を与えた
「躍動する韓国の歴史 (明石書店)」
テロ(義挙)を行う3日前の尹 奉吉
テロリストも義士も、見方や表現が違うだけでどっちも正しい。
間違っているのは自分の価値観を絶対視して、相手を一方的に否定すること。
自分の見方を相手に押し付けると、大反発や不毛なケンカを招くことは避けられないから、互いの違いを尊重するか、それができないのなら、その部分には目をつぶって見て見ぬふりをする必要がある。
だからもう、こういうことをしてはいけない。
日本経済新聞(2015年3月30日)
昭和天皇の「反省」要求、1984年の韓国外交文書
1984年に訪日した全斗煥(チョン・ドゥファン)大統領のために、昭和天皇が晩さん会を開いた。
これに先立って韓国政府が、韓国の国民感情などを考慮して天皇は「最大限強い語調で反省(の言葉)」を述べる必要があると決め、日本政府に伝達したことが2015年に公開された外交文書で明らかになった。
政府はこれを受け入れたらしく、天皇は晩さん会で「今世紀の一時期において両国の間に不幸な過去が存したことは誠に遺憾であり、再び繰り返されてはならない」と述べられた。
昭和天皇についても日韓の見方は反対で、韓国では「侵略や戦争の責任者」というかなりネガティブなイメージがある。
ちなみに他国の象徴に謝罪を要求したチョン大統領は、自国民を大量虐殺した1980年の「光州事件」について、遺族の願いを無視して最期まで謝罪や反省の言葉を口にしなかった。
40年ほど前のことを今さらどうこう言わないが、天皇に反省や謝罪を求めるのはこれで終わりにしないといけない、という空気が韓国では薄いらしい。
2019年に文喜相(ムン・ヒサン)国会議長が、天皇に元慰安婦へ謝罪するよう要求して全日本を激怒させた。
韓国人の感覚では常識的なんだろうけど、日本人にこれは一発アウト。
予想外の反発を受けて、ムン氏は天皇への謝罪要求を謝罪した。
朝日新聞(2019年11月3日)
韓国議長「天皇発言」改めて謝罪 新たな首脳宣言を提案
ムン氏が天皇陛下(現上皇さま)を「戦犯主犯の息子」と呼んだことも致命的だった。としても、韓国の政治家が2回も謝罪するのは異例中の異例だ。
ムン氏が日本の国民感情をここまで見誤ったことは、日韓では天皇についての見方がまったく違うことを示している。
韓国メディアがいまでも「日王」と格下の表現を使っていることもその一つ。
昭和天皇の誕生日を祝う式典に手りゅう弾を投げ込んだ尹 奉吉(ユン・ポンギル)は、日本では民間人まで殺害したテロ犯でも、韓国では立派な義士だ。
昭和天皇は日本では偉人でも、韓国では戦争犯罪人になる。
こういう見方の違いはどうしようもないから、互いの歴史認識には触れないよう配慮するしかない。
まえに日本人が日本国内にある尹奉吉の“殉国碑”に、韓国に対する抗議の意味で杭を打ち込んで韓国人を怒らせた。
自分の一方的な歴史観から、相手の気持ちを傷つける行為はすべてNGだ。
ただどんな理由があっても、韓国で昭和天皇を称える記念碑の存在が許されることはないと思う。
日本の新聞が文大統領に「”反日”体質・歴史のわい曲」と批判。
> 昭和天皇の誕生日を祝う式典に手りゅう弾を投げ込んだ尹 奉吉(ユン・ポンギル)は、日本では民間人まで殺害したテロ犯でも、韓国では立派な義士だ。
> 昭和天皇は日本では偉人でも、韓国では戦争犯罪人になる。
ははは、バカバカしい。
天皇に対する見方が肯定否定あることと、人殺しのテロリストに対する見方が肯定否定あることが、同じレベルでの比較の話になりますかね? 人殺しは人殺しであり、当然、当時の韓国人(日本国の一部であった朝鮮半島在住の人々)にも彼を犯罪者であるとみなす者は多数いたと思いますよ。
いくらロシアにロシアなりの理由があるからと言って、ウクライナへ侵略戦争を仕掛けて多くの人々を虐殺したことを、「肯定的に評価する立場もあるだろう」という理由からコメントすべきでないということですか?
国が変われば見方が正反対になることはあります。
朝鮮が国家を誤って運営し、日本に併合された事実は、明らかに朝鮮の責任です。
私は朝鮮を併合した日帝の行為に対して”侵略”だと非難しません。当時の状況は、ヨーロッパの大国も植民地を経営していましたから。彼らの悪辣な植民政策に比べてむしろ日本は朝鮮を日本に同化させるつもりで併合したため、ヨーロッパ各国の植民地運営とは性格が違ったと思います。日本がずっと「紳士的」でした。
しかし、朝鮮の民の立場では、王族と国家経営者の無能さにより、日本に国を奪われたのです。
彼らが独立運動を展開したのは、朝鮮人としては当然すべきことでした。インドでイギリスの植民地支配に対抗して抵抗したガンジーのようにです。朝鮮の独立運動家たちは、彼らの命をかけて日帝と闘争したのです。
尹奉吉(ユン·ボンギル)義士について、日本の立場ではテロリストですが、朝鮮民の立場では独立運動家であるのはそのような違いのためです。
ある国の英雄が別の国では反対の見方になることはよくあります。
これは仕方ないので、自分の見方を相手に押し付けないようにしないといけません。
すると、ウクライナへ侵略したロシアのプーチン大統領とか、ポーランドをロシアと分割併合したナチス・ドイツのヒットラー総統とかについても、国によって反対の見方になることは仕方ないので、自分の見方を相手に押し付けないようにすべきであると???
ブログ主さんは、そのように主張しているのですよ。そこに気づきませんか?
そこのところが「相対主義・中庸主義」の過ちなんです。国によっていかに英雄に対する見方の違いはあろうと、人殺しは人殺しであり、単なるテロリストであることは、近代民主主義・人権尊重社会の価値観においては覆しようがありません。「自分の見方を相手に押し付けるな」とは、韓国人に向かって言うべきですね。
一方的な侵略戦争で国際社会が一斉に非難したウクライナ戦争と、100年前の日韓併合では状況も情勢もまったく違います。
本質的に違うものを同じように考えることはできませんよ。