フィリピン人が日本を嫌う理由 現地日本人の見方は?

 

このまえ、あるフィリピン人がこんな記事をシェアしていた。

 

 

日本・フィリピンの国旗があるこの巨大な真ん丸は、首都マニラに地下鉄を開通させるため日本から持ち込まれた巨大なトンネル掘削機だ。
写真はフィリピン政府がそのお披露目会をしたときの一枚で、ドゥテルテ大統領は「日本人からの贈り物」に感謝したという。
総延長33kmの工事は日本企業がおこない、日本の車両や技術が導入される。
これが実現すればフィリピン初の地下鉄の登場だ。
カラフルな文字で「ビルド、ビルド、ビルド(造って、造って、もっと造る)」と書かれているところにフィリピンのやる気や期待の高さを感じさせる。
あとは工事の無事と、どこぞのインドネシアのように途中で工事を外国企業に奪われないことを願うのみ。

フィリピンは親日国で、世論調査では日本を「大好き」が42%で「好き」が50%、合わせて90%を超えたこともある。
ただパーフェクトではなくて、日本を「大嫌い」と思う人が5%いた。

“親日度90%”のフィリピンで、ボルテスⅤの人気はすごかった

 

数年前の8月6日、この日広島に原爆が投下されたことを日本人がSNSに投稿したところ、フィリピン人からこんなメッセージが寄せられた。

「if this not happen japan will continue colonizing Philippines.」

もし原爆投下がなかったら、日本はいまもフィリピンを植民地支配していただろう。
また別のフィリピン人はこう言った。

「the Japanese was educated about the Atomic Bombing but never know about Nanking Massacre Manila Massacre etc. Without U.S bombing Japan would still fight all out gonna result into the same fate of Nazi Germany.」

日本人は原爆投下については教育を受けて知っていたが、南京大虐殺やマニラ大虐殺などは知らなかった。
アメリカの原爆投下がなければ日本は戦いをつづけていて、ナチス=ドイツと同じ結果になっていただろう。

この2人が5%の例外か分からないけど、フィリピンでは一般的に太平洋戦争中の日本にはネガティブなイメージがある。
フィリピンと日本の関係を語るのなら、太平洋戦争の末期、かの地で行われた米軍との激しすぎる戦いを無視することはできないから、これからそれと、現地で暮らす日本人の見方を知っていこう。

 

アメリカが支配していたフィリピンに日本軍がやってくると、米軍を撃破してアメリカを追い出し、1942年に日本が新しい支配者となった。(フィリピンの戦い
フィリピンを離れるとき、マッカーサーの言った「I shall return」(私は必ず戻ってくる)の言葉はとても有名。

有言実行の男、マッカーサーはフィリピンを取り戻すために3年後、再びやってきて今度は逆に日本軍を降伏させた。
このときマニラには70万人の市民がいて、太平洋戦争では最大規模となる市街戦が行われた結果、10万人の市民が死亡したという。
太平洋戦争のとき、フィリピンでは全体で約52万人の日本人が亡くなったから、本当に大激戦地だったことが分かる。

1945年の米軍との「マニラの戦い」では、抗日ゲリラと疑われた多くの市民が日本軍に殺害されたとされ、戦後、このマニラ虐殺の責任を問われた山下大将はマニラ軍事裁判で裁かれて絞首刑となった。
ただ犠牲者の4割は米軍の攻撃によるものという意見もあって、正確な数値や責任の所在はハッキリしていない。

こんな悲惨な歴史があって70年以上たったいま、フィリピンに暮らす日本人に現地の反応を聞いてみたのでそれを紹介しよう。

 

・植民地時代が長いと、その利権で生きるフィリピン人もたくさんいます。
そうした人たちは米国につくから、戦争を整理することは簡単ではありません。
日本兵もどこに米国側のフィリピンのスパイがいるのか疑心暗鬼でした。
そうした背景がフィリピンでの戦争を複雑にしています。
でも規律の厳しい日本兵が、フィリピン市民に優しくしていたことは語り継がれています。特にダバオや北部のルソン島で多いですね。

・2~30年前にフィリピン人の妻の父とその兄から言われたことがあります。
彼らは子供のころ日本軍の掃除の仕事をしていたそうです。そのときの日本の兵隊は優しかったそうです。
僕の知らない日本の軍歌を歌ってくれました。

・ 横浜の山下公園に反米独立運動のリーダー、リカルテ将軍の碑があります。
リカルテは横浜で亡命生活をしていましたが、太平洋戦争が始まるとフィリピンに戻って日本軍に協力します。
そのせいで戦後、リカルテの遺族は犬以下の生活を強いられることになったとか。
その後、名誉が回復されてリカルテは英雄墓地に埋葬されて、リカルテを尊敬する人々により遺族も救われたそうです。
フィリピン人でさえ評価がいろいろ変わります。見方もいろいろです。

・クラークの郊外に神風特攻隊が飛び立った空港があって鎮魂の記念碑もあります。
そこに行きましたが、周囲の人たちは同情的な言葉が多かったです。

・私の友人が昔、フィリピン女性と結婚することなって、ナガという場所にいた彼女の両親や親戚にあいさつに行きました。
そしたらそこにいた人に「私の両親は日本兵に殺された」と軽く頭をたたかれたそうです。

・わたしの知人のフィリピーナは良い家柄の人でしたが、そこのロロ(おじいさん)、ロラ(おばあさん)はひどい目にあわなくて、日本兵は優しくしてくれて、悪いやつらを排除してくれたと感謝してました。だからロロ、ロラが子供のころ、兵隊さんに差し入れを持って行ってたそうです。

イントラムーロスに日本軍の蛮行を非難する碑があります。
時間と友好の積み上げがこの反日感情を癒すでしょう。

・以前フィリピンの人達から聞いた話です。
戦争の時は「日本人が来た!娘を隠せ!」と言っていて、戦争が終わってしばらくしたら、「日本人が来た!娘を表に出せ!」に変わったそうです。

・ フィリピンで過ごされるのであれば、この件はフィリピンの人々に話さない方がいいです。
ワルシャワに次ぐ最悪の都市戦ともいわれるマニラ市街戦で、10万人の民間人が命を落としています。
第6代フィリピン大統領キリノ氏の妻と子どもも日本兵に狙撃されたことがあります。
また民間人でもゲリラの疑いがかけられた場合、処刑されたケースもあって戦後の対日感情は悪く、いまの韓国・中国の比ではありません。日本人とバレたら殺されるレベル。

・いまのフィリピン国民のほとんどは戦後生まれで、リアルタイムで戦争を経験した人はかなり少ないはずです。
それでも戦争経験者はいるでしょうし、親族から戦争中の話を聞いて育った人もいるでしょう。
そうした人達が日本に対し、憎悪の感情を抱いていることは充分にあり得ることです。
ただ、バハラナ(何とかなる、気にすんな)の国ですから、全体としてはかなり憎悪は低いです。

・毎年4月8日は「勇者の日」(Day of Valor)でバターン死の行進の被害者を悼む祝日です。
スペインやアメリカに対してはこんな祝日はありません。

・現在のフィリピンで日本に恨みを持つような人はほとんどいないです。

・戦後75年が経過しているのに、現在でも日本は高額の援助金や物資をおくっています。それはあの大戦でこの地を戦場にしたからです。
フィリピン人の好感度トップは日本人です。

・大統領を始めフィリピン国民は日本びいきですよ!

・今のフィリピン人は日本を憎んでないです。
80歳以上の人は憎んでいる人もまだいたりするけど。
いま日本から受けている支援(経済、技術、NGO等)で親日的な人が多いし、日本は礼儀正しく勤勉な国で、旅行に行きたい国ランキングでトップ5に入ると思います。

・僕のフィリピン人の友人、知人、親族の多くは、市民を一番多く殺害した国はアメリカだと言います。

・そもそも今のフィリピンの若者は戦争の歴史を知りません(笑)。

・戦争で被害を受けた人から色々な話を聞いて、日本を恨んでいる人もいると思いますが、フィリピンで長く滞在している自分の肌感覚として、そういう人は極めて少ないと感じます。

・今までフィリピンに住んでいて一度もフィリピン人から、日本は戦争のときああだった、こうだったと言われたことがありません😅
私からその話題に触れても知らない人がほとんどで、知っている人でも昔の事だからって軽く流します。

・大学のゼミで担当教授から、父はバターンでデスマーチをさせられたと言われました。

・戦争時代を知っていて、日本をよく思っている人も悪く思っている人もいるのは事実ですね。
まず良く思っている人は戦時中、日本人に良くしてもらった、またはアメリカやスペインとは違い、日本は教育などいろいろ良いことをしてくれたと言っていました。
日本語の歌も覚えていて、楽しそうに歌ってくれました。
悪く思ってる人は親を戦争で亡くした方とか、悲しい経験をした方です。

・私の妻はフィリピン人ですが、母から聞かされた話だと、戦時中に日本兵からひどい仕打ちを受けて、日本人を恨んでいるそうです。
でもそれは昔の日本人で、娘が日本人と結婚して喜んでいました。

・アメリカ側に付いていた連中が日本の敗戦後、主流派になってしまった結果、悪い印象を刷り込まれた連中も多いです。でも実際に日本人と一緒に働いていた人からは、日本人は優しくて立派だったとお話して頂いた事がありますよ(笑)

・虐殺の件に関しましては、少なからずあったと思います。しかしながら、私が聞いた話では、日本兵は優しかったというフィリピン人の老人がほとんどです。

 

ということで本日のまとめ

あの戦争ではやさしい日本兵に会ったか、それともヒドイ目にあわされたかといった個人的な経験で、日本軍の印象は大きく変わってくるが、フィリピンでは全体的に、旧日本軍には悪い印象を持っていると考えていい。
でもこれを含めて、日本を大嫌いという人はほんの数%にすぎない。
ドゥテルテ大統領が「日本人からの贈り物」に感謝したように、ほとんどの人はフィリピンの発展のために協力し、汗を流した戦後の日本のイメージが強いし、それにはとても良い印象を持っている。
でないと、「好感度90%」が説明できない。

 

最後に、安倍首相がフィリピンを訪問したときの歓迎ぶりを見てみよう。

 

 

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2 件のコメント

  • > フィリピン人は一般的に、太平洋中の日本にはネガティブ
    「太平洋戦争中の」ですよね。まあ戦時中の一時期は、太平洋中のほとんどが日本だったこともありますが・・・。

    フィリピンはとても多くの島々からなる国で、民族・宗教・言語も島(地域)によって様々です。ネットに意見を書き込むのが日常の人もいれば、中央政府の行政があまり行き届かない島とか、中央政府の存在さえハッキリと知らない辺境の人々もいます。国民の社会階層格差がとても大きいです。
    おそらく、戦時中の日本に対する印象や体験も、居住地の島と個人によって千差万別だったのだろうと思います。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。