「永禄の乱」で義輝さん奮闘 室町幕府の頂点・衰退・滅亡

 

きょう6月17日は1565年に、室町幕府13代将軍で剣豪だった足利義輝が襲撃&殺害されたザンネンな日。
1336年に足利尊氏によってスタートした室町幕府は、尊氏の孫の義満の時代に黄金期をむかえた。
金閣寺だけに。
3代将軍・足利義満は各地の有力大名をでねじふせる、明との貿易で大もうけする、分裂していた南北朝を統一するといったことを実現して室町幕府の権威を頂点へ導いた。
でもその後、そんな威光や影響力もだんだんと失われていく。
そんな時、くじ引きによって6代将軍に選ばれて、「幕府の権威を復活させてやる!」とやる気マンマンの足利義教(よしのり)が登場。
だがしかし、1441年の嘉吉の乱で義教が大名の赤松満祐(みつすけ)に暗殺されたことで、幕府の力はむしろ回復不可能なほど弱体化する。

足利義教:くじで将軍になり、治世は万人恐怖で、最期は犬死

そして1565年6月17日、黒い三連星じゃなくって、三好三人衆らによる「永禄(えいろく)の乱」がぼっ発し、室町幕府は虫の息状態となる。
*室町将軍の義晴、義輝を京都より追い出して、三好政権を樹立したパワフルな戦国武将・三好長慶(ながよし)の重臣、三好長逸(ながやす)、三好宗渭(そうい)、岩成友通(ともみち)が「三好三人衆」。

 

「三好は自分の命を狙っている」と警戒していた足利義輝は永禄の乱の前日、”死の気配”を感じたらしく、二条御所(いまの二条城)を脱出した。
でも側近に、将軍が逃げ出したとなったら権威は地に落ちると反対されて、義輝もイヤイヤ御所に戻ったという話がある。
次の日、三好三人衆が1万の兵でもって攻め込んでくると、義輝は家来と、時代劇でありそうなサヨナラの儀式をして自らも刀を握った。

その間に殿中では、進士晴舎が敵の侵入を許したことを詫びて御前で切腹し、義輝は近臣たち一人一人と最後の盃を交わし終え、主従三十名ほどで討って出た。

永禄の乱

 

これが義輝の辞世の句といわれる。

「五月雨は 露か涙か 不如帰 我が名をあげよ 雲の上まで」

降る五月雨はむなしく消える露(つゆ)か、それとも私の涙なのか。ホトトギスよ、私の名を雲の上まで、天まで高めて(広めて)おくれ。
*本人がどう思うかしらんけど、ネットで「カッコイイ辞世の句」を検索するとよくこれがでてくる。

伝説的な剣豪・塚原卜伝から剣術を学んだ義輝も剣豪将軍だった。
「永禄の乱」では畳に将軍家に伝わる名刀を十数本も突き立てておいて、敵を斬って使えなくなると、新しい刀をつかんで命が尽きるまで戦ったという話があって、時代劇ではこのカッコよすぎるシーンがとても盛り上がる。
敵と戦って、討ち死にした将軍は彼だけでは?

 

足利義輝

 

将軍を討ったことで三好三人衆の時代がやってきた、というほど戦国時代は甘くない。
室町幕府の権威がなくなっていたとはいえ、永禄の乱は謀反であり「主君殺し」だ。
これは当時の日本人の倫理観・価値観に反するから、これに激怒する人は続出して、たとえば上杉謙信は「三好・松永の首を悉(ことごと)く刎ねるべし」と神仏に誓った。
三好三人衆はこのあと、15代将軍・義昭と組んだ織田信長に蹴散らされて歴史の舞台から消えていく。
裏切り者にはふさわしい末路かと。
そんな義昭も「天下武勇第一」と呼び、「室町殿御父」の称号を与えた織田信長に、京都から追放されて、尊氏からつづいてきた足利幕府も滅亡した。

 

 

 

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1 個のコメント

  • > 畳に将軍家に伝わる名刀を十数本も突き立てておいて、敵を斬って使えなくなると、新しい刀をつかんで・・・

    ここのところ、もしかすると時代劇マニアでもなければ意味が分からないかもしれないですね。
    日本刀は世界のどんな刀剣よりも切れ味鋭い刃物であると言われていますが、それでも実際に斬り合いで人を斬れば、血や脂(脂肪)が刃にべっとり付着し、固い骨に当たれば刃こぼれもするので、普通の人が使ったらせいぜい2~3人、名人でも5人程度を斬るのが限界らしいです。(なお首切り処刑人のように動かない相手を「据え切り」するのと、戦闘で「斬り合い」になるのでは、全然わけが違います。)
    と言っても、私は別に人を斬ったことはないですけど・・・。

    上記の困難を避けるために、足利義輝は予め多数の刀を用意しておいて、大勢の敵を待ち構え立ち向かったのですね。これは日本の戦闘史(?)ではとても有名なエピソードであり、時代劇の映画、TVドラマ、漫画などではしばしば転用されています。
    何だっけ? 漫画では横山光輝作「闇の土鬼」に同じシーンがあったかな? 映画の方は忘れました。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。