ことし4月、トルコ人と浜松西部にある浜名湖ガーデンパークへ行ってきた。
季節ごとに花が移り変わるこの植物園では、ちょうどこのときチューリップやネモフィラが見ごろを迎えていた。
ネモフィラさんの群れ
チューリップはトルコにもある。
あの花を見るとトルコ人は「春がきたな」と思うと言うから、日本人にとっての桜と似ている。
「にも」と書いたけど、これはとても失礼な言い方で、チューリップの原産地はイランやトルコのアナトリア地方と言われているから、むしろあちらが本家本元だ。
チューリップを紹介する日本語サイトではよく、「オランダで生まれたと思われがちですが、実はトルコが発祥の地で~」といった文がある。
この花の”母国”をオランダとカン違いしている日本人はきわめて多いと思われ。
実際にはトルコ~イランのあたりだ。
この点、起源はトルコなのに、「チューリップはオランダの花」と海外で思われていることについて、トルコ人はどう思っているのか。
オスマン・トルコ帝国の時代にチューリップの栽培や繫殖が行われていて、スルタン(皇帝)の住んでいたトプカプ宮殿やモスクのタイルにはチューリップが描かれている。
チューリップが本格的に栽培されたのはこれが人類初では?
日本では人が世話をしないと育たないけど、トルコでは野山で自然とチューリップが咲くらしい。
「野生のチューリップ」という響きは日本人にはなじみがない。
日本では大正時代にようやく本格的な栽培が始まったから、チューリップに関する歴史や伝統でいえばトルコとは比較にならない。
チューリップというと世界ではトルコよりも、「オランダの花」という印象が強いことはそのトルコ人も認めていた。
日本名(和名)は鬱金香(うこんこう)、トルコ語では「ラーレ(lale)」と言われるこの花が「チューリップ」になったのは、ヨーロッパ人がターバンを表すトルコ語の「チュルバン」をカン違いしたことにある。
チューリップはトルコから16世紀にヨーロッパへ伝わって、そのあと独自の発展をとげる。
オランダの気候はわりと涼しくて、水分を多く含んだその土壌はチューリップ栽培にはうってつけ。
さらに17世紀には「チューリップを安く買い、高く売って大儲け!」というチューリップ・バブルをむかえ、チューリップの球根1つが職人の年収の10倍以上で販売されるという異常な時代があった。
もちろんそんなバブルはすぐに消えてなくなって、オランダでは阿鼻叫喚がこだましたのだが。
そんな歴史もあって、いま世界で最もチューリップ栽培が盛んな国はオランダだし、そこから世界中へ輸出されていて、勢いでいえばトルコよりもオランダのほうが上。
*いつのデータか不明だが、チューリップの球根生産高の1位はオランダで、2位は日本という情報をネットで発見。
チューリップがトルコで生まれて、トルコからヨーロッパへ球根や栽培の知識が伝わったとしても、オランダで発達して世界的に有名になったからということで、知人のトルコ人は「チューリップはオランダの花」と言われても気にしない。
こういうサッパリとした態度、未練のなさを日本の周辺国もみならってほしいところだ。
ということで次回、日中韓による「サクラ大戦」へつづく。
> オランダで発達して世界的に有名になったからということで、知人のトルコ人は「チューリップはオランダの花」と言われても気にしない。(改行)こういうサッパリとした態度、未練のなさを日本の周辺国もみならってほしいところだ。
そうですねぇ・・・。
中国も韓国も、自国の歴史上の伝統文化を、ぜんぜん大事にして来なかった、易姓革命の度に捨ててしまった、それが結局は日本伝統文化に対するコンプレックスになっているのでしょうね。