日韓の「ほのぼの期」:朝鮮通信使の目的・朝鮮人の見た日本

 

着信や送信の「信」とは手紙(便り)のことで、これを「ビリーブ」と考えると意味が分からなくなる。
江戸時代のはじめ、日本に「信(よしみ)」を通わす使者として、朝鮮政府から派遣された朝鮮通信使が1607年のきょう6月29日、初めて江戸を訪問して将軍・徳川秀忠と会った。

豊臣秀吉の朝鮮出兵によって途絶えたものの、朝鮮通信使はそれ以前にも日本へやって来ていたから、これ自体はこのときが初めてというワケじゃない。
そう言えばまえに韓国人から、韓国では徳川家康の人気が高いと聞いて、その理由をたずねたら「家康は豊臣家を滅亡させたからです」という答えが返ってきて何も言えなかった。

 

江戸城・三の丸で将軍への贈り物を準備する朝鮮通信使
「やっべー!いっこ足りないじゃん!」という事態もあったのではないかと。

 

室町時代後期になると、大名が中国・朝鮮との貿易の実権を握ったことで力をつけて、相対的に室町幕府のパワーが小さくなり、大名への支配力が薄れたことが幕府崩壊へつながった。
それを反面教師にした徳川幕府は、西日本の大名より先に朝鮮と国交を結ぶべきと考えて通信使の派遣を求める。
朝鮮政府も、日本に連れて行かれた捕虜を帰国させたり、再び日本が襲ってくることがないか内情を知りたかったから、幕府のオファーを受け入れて、「信(よしみ)」を通わす使者を日本へよこすようになる。
同時に貿易も始まり、日本から朝鮮へは銀や銅、朝鮮からは木綿や朝鮮人参が輸出された。

朝鮮通信使の目的はお祝いだ。
新しい将軍が誕生すると朝鮮政府は彼らに江戸城まで行かせて、政府からの祝福のことばを届けさせた。
外国にお祝いをさせるこの儀式によって、幕府は自身の権威を高めることができたし、全国統治にも役立った。
でも、幕府に戦いを挑むような大名がいなくなって、幕府の統治体制が安定して平和な時代になると、朝鮮通信使のために多額のカネを使うことは「コスパ」が悪くなる。
ということで新井白石は予算カットのために、通信使の「おもてなし」を簡素化してしまう。

 

そのときの幕府の都合しだいで対応は変わっても、朝鮮通信使は基本的には、将軍が公式に招待した大事な大事なお客さんであることには変わらない。
だから、彼らは江戸に向かう各地で熱烈歓迎を受けて、現地の日本人との交流も行われた。
そのことについては、1719年に朝鮮通信使のメンバーとして来日した申維翰(しん ゆはん)の紀行文『海游録』にくわしく書いてある。
日本のミカンを口に入れると「うましっ!」と気に入って、大量のミカンを一気食べした申に、日本人がミカンの差し入れをすると、申はお礼に漢詩をプレゼントした。
日本のミカンがなんでこんなに美味しいのか、申にとってはもはやミステリー。
それでその理由について、雨森 芳洲(あめのもり ほうしゅう)と話し合う。
ほかにも申維翰は、日本人は迷信を好むとか、日本での本の出版は朝鮮の10倍以上だとか、当時の朝鮮との違いを細かく記す。

“歴史認識”をめぐるトラブルはこの時代にもあった。
日本人が方広寺で宴会をセッティングすると、そこは秀吉が建てた寺と知って「この賊はすなわち吾が邦の百年の讐である。」と申維翰は怒りをにじませて書く。
100年以上たっても過去は水に流せず、「恨」(ハン)は忘れないらしい。

 

いろんな問題があったとしても歴史を見てみると、朝鮮通信使が来たころの日韓は友好的な交流が行われていて、とてもほのぼのした時期だった。
だから、戦後最悪となった日韓関係を改善させるため、そして貿易の完全自由化を求めて、近ごろの韓国ではよくこのころがフォーカスされる。

韓国経済新聞/中央日報(2021.10.10)

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1 個のコメント

  • 朝鮮政府は基本的に「外交」が一つしかありませんでした。
    中国(明、後は清)との朝貢外交だけでした。朝鮮は中国の諸侯国だったため、他国との独自の外交権利がありませんでした。日本に通信使を送ったのは大きな範疇では外交だと言えるが、本当の目的は「蛮族」である日本が朝鮮を侵略しないようなだめるためでした。朝鮮はただ中国だけを仕え、それ以外の国々はすべて蛮族と見なしました。そんな情けない思いで国家を運営していたが、結局蛮族として蔑視していた女真族に敗れ、三拜九叩頭禮をする屈辱を受けました。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。