【京都御所の猿ヶ辻】鬼門は東北で、猿が魔除けになる理由

 

「朔平門外の変」が起きたのは幕末の1863年。
朔平門(さくへいもん)というのは、京都御所の北側にある門のことで、ここを通りかかった公家の姉小路 公知(あねがこうじ きんとも)が刺客に襲われ斬り殺される。
サムライが同じサムライを襲うことは幕末の日本ではよくあったことなんだが、侍が公家を暗殺するという事件はこれが初めてでは?
天皇のいる神聖な御所で、殺人事件が起こったということで当時の日本は騒然となる。
…という話はこの記事を見てもらおうか。

【幕末の四大人斬り】京都御所でおきたテロ・朔平門外の変

この「朔平門外の変」は「猿ヶ辻(さるがつじ)の変」ともいう。
なぜなら朔平門外の近くにある、京都御所の東北の角には一匹のモンキーがいるから。

 

 

平安時代の成人男性は頭のテッペンを見せることを「恥」と考えていたようで、烏帽子(えぼし)や冠(かんむり)を着つけることがお約束だった。
だから、この烏帽子をかぶった猿もそれにならったものかと。
御所にいるのなら、猿でさえ”公家”レベルの高貴な身分にしないといけなかったのだろう。
でもなんで京都御所のこんな一角に、烏帽子をかぶったおサルさまが鎮座しているのか?

 

 

古代の中国人では、人間が病気になったり災難にあう原因を「鬼」のせいと考えた。
人に不幸をバラまく、邪悪な鬼がやってきやがる方角は東北ときまっていて、そこを「鬼門」とよんだ。
なんで東や西ではなく、南南西や北北西でもなくて東北やねん?というと、それは「子(ね)・丑(うし)・寅(とら)~亥(いのしし)」の12の生き物からなる干支と方角が対応していることによる。
厄災をもたらす鬼は24時間365日、いつもコンスタントにやって来るわけではなくて、古い年が終わって新しい年になるころにやって来ると考えられていた。
12の干支をいまのカレンダーに当てはめると、12月は丑で正月の1月は寅だから、年の変わり目は丑寅(うしとら)ということになる。
この丑寅を方角で表すと、下の図のようにそれは東北だ。

 

 

そんなことから、大昔の中国人は東北を鬼がやって来る「鬼門」と考えたという。
そんなアイデアが奈良か平安時代の日本にも伝わって、陰陽道と結びつきながら独自に発展していった。

陰陽道の最盛期といわれる平安時代中期頃から、病気や疾病、地震、火災、天災など、そのすべてを神の祟りが起こすものと考えられ、祟りを起こす神の存在を鬼に例えて恐れたことが大きな理由とされる。

鬼門

 

病気や火事などの不幸が起こるのは鬼や悪神のせいで、ヤツラは東北の鬼門やって来るということが分かっていれば、それに対応することも可能だ。
その方角に「猿」をおけばいい。
なんでモンキーなのかは下の図を見ればわかる。

 

 

鬼門の反対側にある方角、西南は未(ひつじ)と申(さる)の「未申」ということで、昔の日本人は鬼除けとして猿の像を置いたのだ。
猿は日本人にとって昔から身近な動物で、神さまの使者とも考えられていた。
猿が魔除けの象徴になった理由として、日枝神社のHPに「「まさる」は「魔が去る」「勝る」に通じ、大変縁起のよいお猿さんです」とある。

神猿(まさる)さんについて

これはただのダジャレじゃなくて、人が言葉にして発したコトは現実になるという「言霊信仰」が日本にはあるから、ホントにこんな理由と思われ。

 

あらゆる不幸や災いから天皇をお守りしないといけなかったから、御所の鬼門(東北)の角に、烏帽子のかぶった猿の像を鬼除けとして置いたのだ。
だからそこは「猿ヶ辻(さるがつじ)」と呼ばれている。
御所をグルリと一周すると、他の角はフツウなのに、この猿ヶ辻だけは凹ませて門をつぶしている。
これは鬼の象徴である角(ツノ)を無くすことで、鬼門をつくらないようにした、つまり鬼門除けの意味があるようだ。
ちなみに金網が張ってある理由は、夜になるとこの猿が動き出して、あちこちでイタズラをしたからこれで封じているという。

ここは鬼門でもともと縁起の悪いところだったから、1863年の「朔平門外の変」で公家が斬り殺されたことも、当時の日本人には偶然と思えず、とんでない不吉な予感しかなかったのでは?
このあと京都から長州藩を排除する「八月十八日の政変」が起きたことも、このときの心理的影響が関係してたかも。

名誉回復がまさかの朝敵:八月十八日の政変、からの禁門の変

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。