人生には3つの坂があるという。
上り坂と下り坂と、”まさか”という坂が。
戦争においても敵のウラをかき、想像を超える「まさか」の作戦を思いついて実現させると勝つる。
きょう8月1日は紀元前216年に、第二次ポエニ戦争のなかで行われた「カンナエの戦い」があった日だ。
カルタゴの勇将・ハンニバル率いる軍がローマ軍を囲んで攻撃し、せん滅した。
ハンニバルの戦い方はあまりにも見事だったから、これは「包囲殲滅戦」の手本となって、その後、世界中の軍隊がこの戦いを学ぶことになる。
日本軍も日露戦争の奉天会戦で、カンナエの戦いを参考にした。
赤がローマ軍で、青がハンニバルの軍
ハンニバル
カルタゴはアフリカの北岸を中心に地中海貿易で栄えた国。
首都はいまのチュニジアにあった。
カンナエの戦いは重要な戦いだった。
といってもそれは、共和政ローマとカルタゴによる「第二次ポエニ戦争」(紀元前219~201年)のなかであった一つのバトルでしかない。
世界史・常識的には第二次ポエニ戦争の始まりとなった、伝説的な戦術「ハンニバルのアルプス越え」のほうがずっと大事だ。
これはローマ人の想像を超えた「まさか」の作戦。
地中海をはさんで向かい合うローマとカルタゴは宿敵同士の関係で、ローマとの戦いを決意したハンニバルはイタリア本土への攻撃を決意する。
でも、20年ほど前にあった第一次ポエニ戦争(紀元前264~241年)に勝利したローマは、カルタゴに代わって地中海の支配者となって制海権を握っていた。
だから船団を送って、海から侵攻するのはむずかしい。
さらにローマは、カルタゴ軍が来そうなイタリアの西部・南部に兵力を集中的に配置していた。
海がダメなら山だ。
ハンニバルはスペイン東部からフランス南部に移動し、イタリア北部に到達してから一気に南下して攻め込もうと考えた。
といってもフランスとイタリアの間には、約4800mの高さを誇るモンブランを含めたアルプス山脈が巨大な龍のように横たわっている。
約4万の兵士と30頭の戦象を率いて、このアルプスを越えようと考えたハンニバルは控えめに言って頭がおかしい。
途中で敵と戦いつつ、雪の積もった山脈を象を連れた大軍が進むのは超ハードモードで、イタリアへ到着した時、カルタゴ軍の兵力は2万6千人と3頭の戦象しか残っていなかった。
川を渡るカルタゴ軍
アルプス山脈を越えて北から攻め込んでくるなんて、ローマ軍にとってはアニメのようなありえない話だ。
でも、そんな狂気のような作戦を考案し実現させて、ハンニバル率いるカルタゴ軍が象に乗って進軍してきた。
まさに空前絶後で驚天動地の事態。
ローマ軍は吃驚仰天(きっきょうぎょうてん)、魂飛魄散(こんひはくさん)、瞠目結舌(どうもくけつぜつ)と、とにかく驚いた。
まったく予想外の攻撃を受け、大敗北を喫したローマ軍は後退してそこでもまた負けた。
カルタゴ軍の阻止は不可能と考え、北部イタリアを放棄し軍を後退させた。しかし、翌紀元前217年6月21日にトラシメヌス湖畔の戦いでガイウス・フラミニウスが再び大敗する
雪のアルプスを越えるハンニバルの軍
そしてこのあとカンナエの戦いで、8万のローマ軍がカルタゴ軍に包囲壊滅される。
恐怖と混乱に支配されたローマ人は奴隷を殺し、生け贄にして神に助けを願った。
そんなことが通じるはずもない。
…と思ったら神さまが聞き届けたらしく、持久戦に持ち込まれたハンニバルが「ザマの戦い」で敗北して、第二次ポエニ戦争は最終的にはローマの勝利に終わった。
それでも、「アルプス越え」で見せたハンニバルの発想・行動力・リーダーシップは世界史の中でもトップレベルにある。
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