きょう8月10日は夏らしいぞ、「ハーゲンダッツの日」だ。
1984年(昭和59年)のこの日、ハーゲンダッツジャパンが設立されたことにちなんで、この記念日が誕生。
この会社はアメリカで誕生したのに、「Häagen-Dazs」という文字はどう見ても英語じゃない。
これは創始者の造語で特に意味はなくて、高品質なミルクをイメージさせるデンマークの「コペンハーゲン」と、その響きに合う「ダッツ」という言葉(これも意味はない)を組み合わせたものだ。
(ハーゲンダッツってどういう意味ですか?)
知人のアメリカ人に言わせると、英語よりも「Häagen-Dazs」というヨーロッパっぽい言葉にしたほうが高級感が出る。
さて、日本語に目を向けると、歩くことを「あゆむ」、集まることを「つどう」、過去を「いにしえ」と言うことがある。
これら平仮名の表現は「雅語」(がご)といって、主に平安時代の古典でみられる伝統的でみやびやかな言葉をさす。
普通の言葉をより上品に、より優雅に感じさせる言葉を雅語といい、それにはほかにこんな言葉がある。
短い時間を「いっとき」
可愛がることを「いつくしむ」
まぶしいことを「まばゆい」
永遠を「とわ」
炎を「ほむら」
水面を「みなも」
誘うことを「いざなう」
「Häagen-Dazs」は雅語とは違うけど、英語よりもヨーロッパの言葉のほうが、欧米人にとっては高級感を感じる傾向があるらしい。
普通の言葉を、より上品な言葉に言いかえる発想はどの言語にもあるだろう。
では英語にも、日本語のような「雅語的な表現」があるのか、日本に住んでいて日本語を話せるアメリカ人に聞いてみた。
そのアメリカ人にはまず「雅語」という言葉は初耳で、意味があまり理解できないようす。
まー日本人でも知らない人のほうが多そうだし、これは仕方ない。
英語に雅語の考え方はないと思うけど、より優雅に、上品に響く言葉はあるというから、アメリカ人にそれを教えてもらった。
彼女が日本にいた時、「トイレに行きたい」の意味で日本人が言う「I want to go to the toilet」という表現がチョット気になった。
アメリカ人としては「toilet」と聞くと、きったない便器が思い浮かんでしまうから。
だから「toilet」と直球ではなくて、「bathroom」のほうが品があって丁寧な印象を受けるから、そのアメリカ人にとってはバスルームはトイレの雅語っぽい言葉になる。
もちろん「トイレ!」でも嫌な気持ちはしないアメリカ人もいるし、このへん個人差はある。
でも「バスルーム」のほうが無難だ。
ちなみに「ラバトリー(lavatory)」はイギリス英語らしい。
状況や相手によっては直接的な表現は失礼になるから、それを避けて婉曲に、遠まわしに言う表現が英語にあって、それを「ユーフェミズム(euphemism)」という。
その具体例としてアメリカ人が言ったのは、「die(死ぬ)」の代わりに使う「pass away(息を引き取る)」や「pushing up daisies」という言葉。
ヒナギクの「daisy(デイジー)」は死体が埋葬されたお墓の上に咲く花のようで、これで「死」を表す。
ペットがケガや病気になって、もう助からないから安楽死させる場合は「put him to sleep」と言う。日本語でも死を「永眠」と表現することがある。
誰かが会社からクビされたことを「fire」と言うより、「let someone go」のほうがユーフェミズムだ。
個人的におもしろいと思ったのが「ナンバーワン」と「ナンバーツー」。
大便を「No.1」、おしっこを「No.2」と表現することがあって、たとえばそのアメリカ人は病院で、「ではナンバーワンを取ってきてください」と看護師に言われたことがある。
やる気に満ちたホスト店かな。
女性が男性とデートをしていて、便意を感じた時に「トイレ行ってくるわ」なんて言えないから、「powder my nose」とやや上品な表現を使う。
パウダーは「おしろいをする」で、「powder my nose」で「お化粧を直してきます」といった意味になる。
「トイレに行ってくる」はほかにも、「I’ll be (right)back」というカックイイ言い方がある。
ただ、ターミネーターがこう言ったのは「No.1」か「No.2」をするためではない。
やや古い表現だけど、トイレのこと「john(ジョン)」と言うこともある。
これは、水洗トイレの発明者が「John」だったことに由来するらしい。
「euphemism」の例はほかにも、「fart(おならをする)」を婉曲に表現する「break wind」、「unemployed(無職の状態)」を「between jobs」と言うなどいくつもある。
こう見ると全体的に、「死」という縁起の悪いものや、排泄行為に関する汚い言葉をストレートに表現するのは特に避けて、婉曲でより上品な言葉に言いかえる傾向がある。
こういう言葉の文化や感覚は世界中の国にあるだろう。
でも、まぶしい、永遠、炎、水面、過去といった一般的な言葉をより優雅に、上品に表現する日本の「雅語」という発想はなかなかないと思う。
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