「恋と戦争では手段を選ばない。」
16~17世紀のイギリスの劇作家フレッチャーはそんなことを言う。
恋愛は置いといて「勝てば官軍」というように、戦争では汚い手段を使っても勝利さえすれば、後からいくらでも正当化することができる。
でも、平安時代後期の源平合戦から鎌倉時代におこなわれた日本の合戦では、一定のルールがあって敵も味方もそれを守っていた。
事前に軍使を送って合戦の日時や場所を決め、当日には両軍が向かい合うと、それぞれの軍を代表する人物が自分たちは何者で、これから戦いをおこなう正当な理由を大声で言って戦意を高める。
こうして名乗りを上げている間は、相手を責めてはいけないというルールがあった。
戦いでは名のある者を倒すと多くの報酬をもらえるから、乱戦で「コイツ、できる!」と腕の立ちそうな相手を見つけると、自分の名前や家系を言って身元を明らかにし、一騎討ちになることもある。
「一騎討ち」という言葉は源平合戦のころにできたらしい。
この一騎討ちとセットになっているのが、日本の戦いのマナーで文化でもある「名乗り」だ。
源平合戦で藤原景清が敵を倒し、「遠からん者は音に聞け、近くば寄って目にも見よ!」と勝ち名乗りを上げると、このセリフが名乗りのテンプレになる。
乱戦の最中、「ヤアヤア、遠からん者は音にも聞け~」と名乗りが始まったら、その相手には手を出さないというきまりがあって、それは(完璧かワカランけど)ちゃんと守られていた。
でも名乗りとか一騎討ちとか、そんな戦いの作法が通じるのは、同じ価値感や考え方を持ってる者同士だけ。
外国人に日本の戦いの美学やルールなんて関係ないから、「あいつらナニやってんだ?いいからやっちゃえ!」という状態になる。
13世紀、二度にわたってモンゴル軍が攻めてきた元寇(1274年の文永の役・1281年弘安の役)では、武士が一騎討ちを挑もうとしたら、モンゴル軍からは集団での攻撃をくらってカルチャーショックを受けた。
元寇では戦い方の違いから、日本の武士が苦戦したと「NHK for School」にある。
当時の武士の戦い方は、まず名乗りを上げ、一対一で行うものでした。「やあやあ、我こそは肥後の国の住人…」。「やあやあ我こそは…」。それに比べて元の兵士は、名乗るどころか大勢でいっせいにおそいかかってきました。
ただ、日本の武士も集団戦法をとっていたという見方もある。
だからこのへんは、一騎討ちと集団戦法のハイブリッドだったのではないかと。
『蒙古襲来絵詞』
一騎討ちを仕掛けたら集団攻撃をくらったでござる、のように見える。
この「名乗り」は、いまでは日本文化の一つとなってすっかり定着した。
時代劇やアニメではそんなシーンがよく出てくる。
なかでもアニメ『このすば』に出てくる、イタかわいい魔法使いの少女「めぐみん」のこの名乗りにはファンが多い。
「わが名はめぐみん! 紅魔族随一の魔法の使い手にして、爆裂魔法をあやつる者!」
ちゃんと自分の氏名や出身を明示して、源平合戦からつづく名乗りの基本を押さえている。
ちなみに、友人のユンユンがする「わが名はユンユン!」の名乗りも秀逸だ。
関係ないんだが、韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領が来日して、記者団の前でこれをやってくれると、日本での支持率は爆上がり確定。
この手の名乗りは『愛と正義のセーラー服美少女戦士、セーラームーン! 月に代わって、お仕置きよ!』のセーラームーンとかプリキュアとか、日本のアニメやマンガで本当によくある。
これは、「5人揃ってゴレンジャー!」といった戦隊モノの影響があるのでは?
仮面ライダーや戦隊モノでキャラが名乗るシーンがあるのは、制作している東映が時代劇の演出を取り入れたからだという。
ただ、13世紀のモンゴル人と同じように、現代でも日本独自の「名乗り」の文化は外国人には通じにくい。
戦隊モノをリメイクしたアメリカの「パワーレンジャー」では、「は?名前とか言ってたら、敵から攻撃されるだろ?」と不自然に感じたアメリカ人のスタッフがその場面をカットしようとした。
それで「いやいやいや、“名乗り”はとても重要だから」と日本のスタッフが説得して、何とかそこは残された。
映画「パワーレンジャー」の監督を務めた佐藤浩一さんも、アメリカ側の冷たい反応と戦った一人だ。
産経新聞(2017/6/12)
「米国では名乗りの間(ま)を待ってくれず、その間にヒーローはやられてしまうから、というのが彼らの理由です。戦う前、互いに名乗り合う日本の文化と、そんな悠長なことはしないという米国の文化との違いですね」
大作「パワーレンジャー」で甦った日本のスーパー戦隊…名乗りの時間短縮?米国版育てた日本人監督の製作
こんな日米文化の違いを乗り越えて、映画の中で「名乗り」のシーンは入れられた。
ただ、日本版より時間は短縮されたらしい。
ちなみに「名乗り」を表す英語はないから、「Roll Call」(出席・点呼)という言葉を使っている。
やっぱり日本人は「戦争では手段を選ばない」ではなくて、正々堂々という美学が大事なのだ。
【日本の女性観】鎌倉時代は“フェミニズム”、江戸は男性優位に
全く違います。
名乗り文化事態は封建制社会の歴史を持つ国ならば大なり小なりほぼ全ての国に存在します。
単に、我が国では名残が残り続け、他の国ではそれも廃れたに過ぎません。
騎士や侍の名乗りとは
味方に対して『自分はどこどこの誰々であり、間違いなくこの戦場にいて最前線で戦った』というアピールであり、
敵に対しては『この人は何処の誰で身分は何と名乗った人』を確実に覚えてもらう手段です。
何故ならば、こうしないと論功行賞の時にきちんと評価されないためです。その辺の村人の首を将軍の首だと言い出されては困りますし、そもそも戦場に行っていないのに行ったと言い出す人が出現してはいけません。
だから名乗るのです。しかし戦争の規模が拡大していくとこういった名乗りもだんだんと行われなくなっていきます。広すぎるので声は通りませんし乱戦になればもう滅茶苦茶だからです。
戦国時代初期ですと名乗りらしき行為が確認出来ますが、末期になると消えているのはこういった理由です。
我が国には江戸時代という平和な時代がありますが、その間も他国では戦争をしているわけですから巨大化した戦場で意味の無い行為を続ける必要性は皆無なので、こうして名残さえも一時忘れ去られたと言うのが実情です。
そもそも一騎打ちの観念が微妙に違います。『一騎』とは騎兵1体に雑兵が2~10人ほど集まった『単位』の事であり、一騎打ちとは、騎馬武者+複数人の歩兵の部隊同士が激突したと言う意味であり、言うほど個人戦では無く集団戦です。中世イタリアでは似たような単位として『ランス(突撃槍の事、そこから来ている)』という単位が存在しました。
モンゴルは集団戦で云々はそもそも単純に『騎』という単位で戦いに来た日本側に対して、100人規模の歩兵隊でやってきたいわば戦いの概念の違いによって生じた物で、元々両者ともに集団戦で戦い事態は行われています
>正々堂々という美学が大事
んなこたねぇよ。日本でだって勝負事とならば手段は選ばずだよ。
当時の日本人が想定した「一騎討ち」についてはNHKの説明にあるとおりです。
日本の武士がしたような「名乗り」に相当する英語を探したのですが、見つかりませんでした。もしご存知でしたら、ご教示いただけるとうれしく思います。
それと上の説はどこで確認できるでしょうか?
源義経以外で、平安時代後期~鎌倉時代の戦いでその例には何があるでしょうか?