「日露戦争でロシアは負けたわけなんだが、それについてどう思ってんの?」
歴史が好物のボクとしては知人のロシア人に、そんな質問をしてみたいと思っているのだけど、まだその機会はやってこない。
これは近代史でまだ記憶に新しいし、そのロシア人は身長と同じぐらいプライド高目の人で、聞くタイミングが見つからない。
同じようにぜひ聞いてみたいのは、いまのモンゴル人は元寇の敗北をどう思っているのかってこと。
あれは日本にとっては国を失うかもしれないという歴史上、最大級の大ピンチ。
結果的にはモンゴル軍を二度も撃退して、当時の日本人に大きな自信を与えた。
立場が反対になれば、モンゴル人にとっては屈辱だったに違いない。
連戦連勝、破竹の勢いで勝ちまくって、朝鮮半島から東ヨーロッパまでの広大な範囲を支配した世界帝国のモンゴルは、まさか小さな島国に負けるとは想像できなかったはず。
元寇での敗北という闇歴史について、現代のモンゴル人はどう思っているのか?
「蒙古襲来絵詞前巻」
これは13世紀の出来事だし、知人のモンゴル人女性には「こまけぇこたぁいいんだよ!!」という大らかな雰囲気があったから、このまえ会った時に聞いてみた。
するとまず、日本の大学に通っていて、日常生活レベルの日本語を話せる彼女は「げんこう」という言葉を知らなかった。
それで、13世紀にあった日本とモンゴルの戦いのことだと話すと、
「ああ、それですか。まえに日本人の友だちから同じ質問をされて、初めてその出来事を知りました。だから知識は無いですし、700年以上も前のことですから特に何も思いません。」
と肩透かしをくらう。
日本の教科書なら太文字どころか、数ページにわたってくわしい説明のある元寇が、モンゴルの学校ではスルーされているとは思わなかった。
でもあっちは、「いやなんで学ぶと思ったし」という顔をしている。
彼女の意見ではまずそれは負け戦だから、基本的に歴史の授業で取り上げたくない。
それにあの時代、モンゴル帝国はヨーロッパや中東、中央アジアなどユーラシア大陸の各地で戦っていたから、小さな戦いを含めてすべてを覚えるなんてムリ。
だから元寇について聞かれても、彼女としては「別に…」、「わりとどうでもいい」ぐらいしか思わない。日本にきて初めて知ったことだから、感想を聞かれても困るらしい。
「ルーシ侵攻(モンゴル軍のヨーロッパ遠征)について、あなたはどう思う?」と日本人が外国人に質問されるのと同じようなかも。
ちなみに中国人に聞いても元寇のことは知らなかった。
日本人から聞いて、初めて知ったという今回のモンゴルパターンだ。
元はモンゴル人が建てた国で、元寇はモンゴル人がはじめた戦いだから、学校でくわしい歴史は学ばないらしい。
13世紀の中国では屈辱的な敗戦によって日本に対する見方は一変し、「日本人を敵にしてはいけない」という脅威論が強まった。
その時代を生きた中国人は、
「倭人は狠、死を懼(おそ)れない。たとえ十人が百人に遇っても、立ち向かって戦う。勝たなければみな死ぬまで戦う。」
とその勇敢さに畏怖した。
こうした日本観は後々の中国人の発想をも縛ることとなる。
元寇の敗戦を通してのこういった日本軍将兵の勇猛果敢さや渡海侵攻の困難性の記憶は、後の王朝による日本征討論を抑える抑止力ともなった。
ほふく前進する日本兵(ノモンハン事件)
元寇の話題があっけなく終了すると、「日本とモンゴルの別の戦争は知っていますか?」と今度はモンゴル人が聞いてくる。
いやいや、万里の長城の北にあるモンゴルと日本じゃ接点がない。元寇みたいな歴史のイレギュラーでもない限り、戦いをする理由は発生せんやろ。
存在しないものは知らないと言うと、「いえ、20世紀にありましたよ」とあちらは食い下がる。
けっこう最近だな。
で、それはどこの世界線の話デスカ?
彼女の言う“戦争”とは、1939年(昭和14年)のノモンハン事件のことだった。
この年、実質的には日本が支配していた満洲国と、同じくソ連の影響下にあったモンゴルとの国境で、日本軍とソ連軍が激突するノモンハン事件が起きた。
このころ日本(満洲国)とソ連(モンゴル)との間で、国境をめぐる争いが何度も起きていて(日ソ国境紛争)、その最大の軍事衝突がこの事件だ。
これはソ連軍の圧勝、日本軍の大惨敗に終わる、と思われていたが、情報公開が進むにつれて、実は日本以上にソ連がダメージを受けていたことが判明。
日本側では約2万人の死傷者をだし、戦車約30両、航空機約180機を失った一方、ソ連側の死傷者は少なくとも約2万5千人、戦車などの装甲車両約400両、航空機約350機を失った。(ノモンハン事件)
双方がダメージを受けて、今後はこんな争いが起こらないように日ソが満洲国・モンゴルの国境をしっかり決めたというのがノモンハン事件だ。
日本では「事件」扱いのこの出来事は、モンゴルでは「戦争」と認識されているらしい。
まず当時のモンゴルはソ連の支援を受けていた独立国で、その影響下にあったわけではないという点が日本で教えられている歴史と違う。
その前提に立てば、あれは国境を越えて攻めてきた日本軍をモンゴル軍が撃退した「祖国防衛戦争」になる。
ソ連軍の協力を得て、モンゴル軍の軍人「ホルローギーン・チョイバルサン」などが日本軍と戦って勝利した。
モンゴルでは有名なこの歴史を日本人は知らない。
「モンゴル人は元寇を知らないの?」と驚いた日本人の友人に逆質問したら、「なにその戦争?」と言われてモンゴル人が驚いた。
ノモンハン事件は高校日本史では必ず学ぶけど、中学校だとスルーされる予感。
そのころ国内では1932年に5.15事件、1936年に2.26事件といった大事件が起きたし、ノモンハン事件と同じ年には、ドイツがポーランドを侵攻して第2次世界大戦が始まった。
翌41年には日本軍が真珠湾攻撃をおこなって、日米は全面戦争へ突入する。
この時代の「覚えること多すぎ問題」は、モンゴル帝国の領土拡張のころと同じかも。
「自分たちが負けた戦いはくわしく学ばないモノですよ」とモンゴル人は納得するが、ノモンハン事件の前後で日本はほとんど変わってないから、これに大きな意味はない。
重要なのはその前後に起きた大事件の数々で、これらに埋もれてノモンハン事件は目立たないから、これを知っている日本人は少ない。
知名度でいえば元寇とは、ラスボスと雑魚キャラのぐらいの差がある。
ということで本日のまとめ
日本人にとっての元寇は、モンゴル人にとってはノモンハン事件に相当する。
自国では有名な勝ち戦だけど、相手国では関心がないからほとんど知られていない。
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