日本とトルコのよき関係:和歌山の恩を100年後、イランで返す

 

そうか。
きょうは、1890年にエルトゥールル号の遭難事件が発生した日か。
これ自体は不幸な事故だったけど、結果的に日本とトルコの間で、永遠の友情が生まれるきっかけになった。
ということで今回は日土関係について書いていこうか。

日本とトルコはアジアの東と西の端に位置しているから、近代になるまで接点も無ければ関係もありゃしない。
でも地球はひとつ。
だから間接的な影響ならあって、日本にパンやタバコ、鉄砲が伝わったのはトルコの見えない後押しがあったからだ。
1453年に「征服王」と呼ばれたオスマン帝国のメフメト2世によって、首都コンスタンティノープルが陥落して東ローマ帝国は滅亡する。
これでいまのトルコはオスマン帝国の領土となり、首都コンスタンティノープルの名称はイスタンブールへ変えられた。

アジアとヨーロッパの境にあるトルコに、強大なオスマン帝国が誕生したことで、ヨーロッパ諸国は陸路で香辛料を手に入れることが難しくなる。
それなら直接アジアから香辛料を入手しよう考え、海路での新しい通商ルートを築こうとした。
そんなことでヨーロッパの船がアフリカ最南端の喜望峰を越えてインド大陸へたどり着き、やがて東南アジアへとやってきた。
そして始まる香辛料貿易
そして1543年に初めてヨーロッパ人が日本の地を踏んだ。
その後、宣教師たちがパンやタバコ、鉄砲を伝えたことは歴史の授業でならったとおりだ。
だから結果的、間接的にオスマン帝国が圧力をかけたことで、日本とヨーロッパが出会ったことになる。

 

いまにつながる日本とトルコの友情は、1890年のエルトゥールル号遭難事件からハジマタ。

 

オスマン・トルコ帝国の軍艦「エルトゥールル号」

 

この年の9月、神戸へ向かっていたエルトゥールル号は和歌山県の沖合で、運悪く台風と出くわし、強風と高波のため沈没してしまう。
この事故で乗組員587名が死亡。RIP。
でもこの時、付近の住民が懸命に救助活動をしたことで約70人の乗組員が助け出され、後日、日本海軍の巡洋艦によってトルコへ送り届けられた。

このとき日本国内では、犠牲者に対する義援金の募集がおこなわれる。
それを届けに行った山田 寅次郎(とらじろう)は、現地で「英雄あらわる」的な大歓迎を受けた。

彼はイスタンブールの官民から熱烈な歓迎を受け、皇帝アブデュルハミト2世に拝謁する機会にすら恵まれた。この時に彼が皇帝に献上した生家の中村家伝来の甲冑や大刀は、現在もトプカプ宮殿博物館に保存、展示されている。

山田 宗有

山田 寅次郎(宗有)

 

船でイスタンブールした寅ちゃんはトルコが気に入って、そこに住み着くことになった。
やがて彼はそこで、日本とトルコの友好親善大使のような役割を務めるようになる。
日露戦争が起こったとき、「ロシア黒海艦隊所属の艦艇3隻が商船に偽装してボスポラス海峡を通過した」という情報を日本へ伝えたのは山田 寅次郎だ。

 

それから時代は流れて20世紀。
イラン・イラク戦争が行なわれていた1985年3月、イラクがいまから48時間後、上空を飛ぶ飛行機は無差別に攻撃するという声明を出す。
世界各国が自国民を救出するなか、当時は自衛隊による救援ができなかったから、イランにいた日本人は脱出できずにいた。

*海外にいる国民を救えないというのは国家として失格だ。
このあと法整備をして、日本もフツウの国へ近づいた。

このままイランにいたら命の保証はない。
多くの日本人が絶体絶命のピンチにおちいった時、トルコが動いた。
日本の大使から事情を聞いたビルレル全権大使はすぐに本国へ連絡して、救援機を派遣させると約束する。
このとき大使が言った言葉を、日本人は少なくとも千年は忘れない。

「トルコ人なら誰もが、エルトゥールルの遭難の際に受けた恩義を知っています。ご恩返しをさせていただきましょう。」

こうしてイランへやってきたトルコ航空機に215人の日本人が乗って、トルコを経由して全員無事に日本へ帰ってくることができた。
ちなみに約500人のトルコ人がこの救援機に乗ることができなかったから、彼らは自動車でイランを脱出したという。
なんかゴメン。

ということで1890年に和歌山で受けた恩を、トルコは100年後にイランで返したことになる。
こういう義理堅い国との関係を日本は大切にしないといけない。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。