「ラッキョウ」なら問題は無いのだけど、落橋には問題しかない。
イタリアで2018年に長さ1キロ、高さ90mの巨大なモランディ橋が崩壊する落橋事故が起きて43人が死亡した。
43人の命を奪ったこのモランディ橋の崩壊は「21世紀最悪の落橋事故」と呼ばれている。
これが人類史上最悪の事故となると、犠牲者の数は異世界レベルに跳ね上がる。
その負の世界記録をもつ国は残念ながら日本だ。
1807年のきょう9月20日、江戸の永代橋(えいたいばし)が落っこちた。
隅田川にあったこの永代橋(トップ画像)はもともと1698年に幕府がかけたもので、その後、お金がなくなって財政ピンチにおちいると、幕府は維持費を出せなくなって1719年にこの橋の撤去を決める。
でも、「だが待ってほしい」と地元の人たちがストップをかける。
永代橋は生活に無くてはならないモノだから、維持・管理で必要なお金は自分たちで出すと町民が言い出すと、幕府はそれを認めて廃橋は避けられた。
だが待ってほしい。
この橋の存続には幕府が負担になるほどの経費が必要だし、橋の通行料を徴収することなどで、本当にそのお金を工面することができるのか?
修繕が必要最低限のものになれば、永代橋の劣化や耐久性の低下は必至。
どうやらフラグは立ってしまったらしい。
文化4年8月19日(1807年9月20日)、この日は富岡八幡宮で12年ぶりのお祭が行われる日だった。
久しぶりにめでたい祭礼があるということで、江戸中からお参りに訪れる人が殺到し、永代橋を通って八幡宮へ向かう。
この時の永代橋を擬人化したら、「ちょ、ちょっとマッテ。マジでもう無理なんですけどっ!」と言ったに違いない。
限界を超えた橋はとつぜん崩れ落ちて、人びとは隅田川へ落ちていく。
「見ろ。人がゴミのようだ」とムスカみたいなことを言ったか知らんけど、人が米粒のように落ちたという目撃談がある。
1400人を超える死傷者・行方不明者を出したこの「永代橋崩落事故」は人類史上、最悪の落橋事故と言われている。
ただ死者・行方不明者の数は2000人を超えたという説もあって、正確なところはよくワカラン。
空前絶後の事故にもかかわらず、大田南畝はこんな能天気な狂歌を詠む。
「永代と かけたる橋は 落ちにけり きょうは祭礼 あすは葬礼」
永遠というのに落ちてしまった。祭の次の日は葬式だ。
人びとの願いと残酷な現実との対比がすばらしい、才能アリです! なワケあるか―。
*いくつもの渡し舟をつなげてつくった橋「ポント・ダス・バルカス(Ponte das Barcas)」がポルトガルにあって、1809年にフランスとの戦争の中に崩落して4000人ほどが亡くなった。
これはあまりに特別な橋で、特殊な状況だからカウントしない。
1897年(明治30年)、日本初の鉄橋として生まれ変わった永代橋
そこで写真を撮るなら、気を付けたほうがいい。
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