日本の大学に通う知人のトルコ人がバイトを探していて、「マックみっっけ」と最近マクドナルドで働き始めた。
彼の日本語は、「今日はみんなと遊んだ。楽しいかった」というレベルだから、まだ接客の大任はまかされず、厨房でハンバーガーやフライドポテトを全身全霊で作っている。
仕事については、ピーク時になるとまわりが殺気立ってくること以外は特に問題なく、基本的に楽しく働いているらしい。
「でも、それはトルコも同じ。むしろもっと荒っぽくなる」と言う彼にとって印象的だったのは、いま作っている月見バーガーだ。
マックで働きだしてから彼は日本では秋になると、団子などのお供え物をして月をながめる月見というイベントがあることを知った。
彼は団子が好きだし、トルコ人にとって月は国旗に描かれるほど重要なものだから、その風習はとても良きと考えている。
季節ごとに、伝統行事があることはめずらしいことじゃない。
意外だったのは、日本ではマクドナルドにも四季があることだ。
秋になると月見のハンバーガー、パイ、マックフルーリーが販売されて、春や冬にも期間限定メニューが登場するというのは予想外。
彼にとって、これはとても日本的な感覚や現象に見えた。
トルコにも春夏秋冬はあって、暖かくなるとチューリップが咲いたり、葉っぱの色が赤や黄色に変わったり、雪が降ると大地が白く染まる。
でも、トルコ人は日本人ほど季節の変化に敏感ではないと言う。
トルコでは暑い夏にはアイスクリーム、冬にはあったかいスープを飲むといった変化があるだけで、次々と“旬の物・初物”が登場する日本の食文化ほど、四季の移り変わりに対応していない。
日本の文化に興味のある彼にとって、マクドナルドにも季節感があるというのは新鮮な発見。
日本に長く住んでいて、食文化にくわしいイギリス人(たぶん)はSNSに和食の特徴をこう表現した。
「Japanese cuisine leverages the changing seasons to the hilt.」
(和食は季節の変化を上手に利用している。)
春になると料亭では、森でその年に初めて採れたウド(山菜・野菜)を使ったちょっと苦い天ぷらが出てくる。ほかの山菜と組み合わせて春野菜の天ぷらを作って、通常の天ぷらつゆではなくて、抹茶と塩で食べることがこの国では人気がある。
江戸時代の日本人も野菜や魚の初物をとてもよろこんだ。よろこびすぎて問題になって、幕府が規制を出したこともある。
こういう感覚はいまの日本人も変わらない。
同じ天ぷらやほかの食べ物でも、(これもある意味で季節に応じて)調味料を変えることはめずらしくない。
にしてもこのイギリス人さんは一般の日本人より日本の食文化にくわしいし、かつ、社会の“上流”に属している気配がする。
春野菜は山で採れるだけではない、というこの人はこう指摘した。
「The flower buds of the rapeseed (or canola) plant is another highly appreciated vegetable and heralds spring as much as the cherry blossom. It is also a highly appreciated type of tempura, or it can be served boiled like spinach, or nowadays eaten raw in salads.」
菜の花のつぼみも、桜と同じように春を告げる野菜としてよろこばれている。
天ぷらにしたり、ほうれん草のように煮ておひたしにしたり、最近は生でサラダにして、菜の花のつぼみはとても人気がある。
「月見バーガー」や「桜もちパイ」のように季節ごとにメニューを提供するマクドナルドは、こうした食の伝統をベースにしているから、日本人にとってはごく自然で違和感はない。
でも、それをとても日本人らしい感覚だと感心する外国人もいる。
「マックみっっけ」と思ったトルコ人は、日本の食文化や伝統を見つけてしまった。
「飢え」が変えた食文化。日本と世界(ドイツ・カンボジア)の例
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