「日本三大~もん」といえばドラえもんと新右衛門、それとコナモンというのが現代日本の定説だ。しらんけど。
そして5月7日は読んで字のごとく「コナモンの日」。
たこ焼き・お好み焼き・うどんなどの粉を使った「コナモン」の魅力をPRするために、日本コナモン協会が2003年に制定した。
たこ焼きは置いといて、ピザや麵料理といったコナモン料理は世界中にあるから、それは全然めずらしいことじゃない。がコナモンに対する日本人の”愛”は控えめに言って異常らしい。
それで在日外国人から、「あれにはビックリした!」という話を何度も聞いた。
お好み焼きが大好きというアメリカ人が日本人の友人と食堂に入ってメニューを見た時、お好み焼きとご飯が仲良く並んで映っている「お好み焼き定食」の写真を見て目を疑った。
「ご飯とお好み焼きを同時に食べるのか?」ときくアメリカ人に、「もちろん。おいしいし、腹いっぱいになってお得だから」と笑顔を見せる友人。
お好み焼きも米もいいけどそのコンボはノーサンキューだから、「正気か?」と思ったとか。
またあるイギリス人は「ラーメン+ライス」の組み合わせを見て、「いや、ありえんし!」とビビった。
ラーメンとチャーハン、ラーメンとおにぎりのセットもおかしいと言う彼はもう、日本にフィットしているとは思えない。
お好み焼きの起源は戦国時代の千利休が好きだった「麩の焼き」(水で溶いた小麦粉を焼いてつくるお菓子)とか、明治時代の東京で広まったもんじゃ焼きとか諸説ある。
お好み焼き・ラーメン・白米とそれぞれ単体ならどれもおいしい。
それに母国でも、小麦粉と小麦粉という組み合わせがないこともない。
でも日本では「ご飯+コナモン」をよく見るし、それがフツーになっているところにビックリした、という話はブラジル人やトルコ人からも聞いたことがある。
「そんなにおかしいか?」と思うボクも、たこ焼きをおかずにしてご飯を食べるという大阪人の話を聞いて「いや、ありえんし!」と引いた。(もちろんそれが大阪人の義務ではない。)
そう考えると、同じ国内でも食文化と常識は地域によって違うのだから、それがワールドワイドになったらなおさらか。
ご飯ではなくても、「焼きそばパン」に驚いたラトビア人とトルコ人もいる。
2019年に日本でラグビーW杯が開かれたとき、それを目当てにやってきたイギリス人と知人のタイ人が知り合って、「彼が浜松の名物料理を食べたいと言ってる」とタイ人から連絡を受けた。
ということで彼らを餃子の専門店へ連れて行った。
その店は餃子づくりに全身全霊をかけているから、食べ物のメニューはそれとご飯のみ。
それを知ったイギリス人は「餃子とご飯を同時に食べるの?」と絶句し、日本に住んでいたタイ人も「食べ物はそれしかないの?」と驚く。
結局2人とも「炭水化物+炭水化物」の組み合わせはNGということで、餃子とビールを注文した。
日本人のボクからすると、白米とマンゴーを組み合わせる「カオニャオ・マムアン」というタイのデザートのほうが衝撃的。
日本の「餃子+ライス」には中国人もビックリするという話はよく聞く。
中国事情にくわしいジャーナリストの中島恵さんもこう書いている。
彼らが最も驚くこと。それは日本の「餃子定食」の存在だ。餃子とライス、漬け物がセットになったもので、ラーメン屋や大衆食堂、チェーンの定食屋などでよく目にする。
来日する中国が餃子定食に驚愕(?)中国人と日本人、こんなに違う餃子の食べ方
中国人もご飯ではなくて、餃子とビールの組み合わせを選ぶかもしれない。
中国の餃子
でも焼き餃子の日本と違って、中国で餃子といえば水餃子が一般的だ。
ボクが中国で餃子は皮がけっこう厚くて”ちょっとした肉まん”だったから、あれと一緒に白米を食べたいとは思わない。
でも外国人の反応を総合すると、日本人のコナモン(とご飯)好きは控えめに言って異常らしい。
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炭水化物(カーボンハイドレート)あるいは糖質(サッカライド)と呼ばれる栄養素に対して、最近、欧米を中心に日本でもやたらと否定的な見解が広まりつつあるようです。だけど、日本人が「コメ」以外の炭水化物(小麦粉、イモなど)を多く摂取するようになったのは、比較的最近(明治期以降)のことです。長い間、日本人にとっては主食の「コメ」と、それ以外には少量の「オカズ」だけが食べ物だったからです。(TVドラマ「仁」にもそのことを示すシーンが最初の回に出てきます。)
古代から、日本人はコメをよく食べてきました。と言うか、コメを主に食べる民族こそが「大和民族」の定義であったのかもしれない(アイヌの人々とはそこが違います)。関東で反乱を起こした坂東武者の平将門や、鎌倉幕府を起こして朝廷からの独立を果たした源氏の一族たち武士が命がけで(=一所懸命に)守った領地とは、コメを育てるための「田」だったのです。江戸時代になっても税金や武士(=役人)の給料がコメで支払われていた、いわば「コメ本位制」こそが江戸時代の日本の経済システムだったし。
白米は、江戸時代の初めまで、平安貴族や上級武士だけが食べられる「贅沢なご飯」だったのですが、江戸時代に町民へも普及していきました。白米食の普及とともに、それまでは貴族や上級武士だけの病気であった「脚気」が庶民にも拡がっていき、やがて日本人の国民病とまで言われました。太平洋戦争で日本が負けた原因の一つが「最大の原因は実は脚気であった」と言う歴史家もいるほどです。
さて、静岡出身の偉大なノーベル賞級の科学者であった「鈴木梅太郎」が、脚気の防止・予防に有効な「ビタミンB1」を発見するまで、治療予防薬(食)としては、蕎麦などの雑穀、イモ、それと小麦粉しかなかったのです。江戸の庶民にとっては「うまい蕎麦」が、西国の庶民にとっては「イモと粉もの」こそが、昔は脚気の防止に必須の食料だったのです。
脚気は、日本人の「白米への偏食」が生んだ国民病です。最近、外出が億劫になった老人たちの間で脚気を患う人が増えているらしいですよ。