いまと違う改元理由 “一世一元”に明治の日本人はどう思った?

 

先日10月23日は昭和39年に、東京オリンピックで日本の女子バレーが金メダルを獲得したメデタイ日だ。
この決勝戦の視聴率は、日本のスポーツ中継では歴代最高の66.8%を記録する。

歴史をさかのぼると、10月23日は画期的な改元が行われた日でもあり。
1868年のこの日に元号が慶応4年から明治元年になり、江戸時代が終わって明治の新時代がスタートした。
日本の元号は飛鳥時代の「大化」から始まって、現在の「令和」まで約250もある。
いまの元号のシステムは、基本的に1人の天皇につき1つの元号という「一世一元の制」となっているけど、昔はそうじゃなかった。
「白いカメが現れた!」と縁起の良いことや、逆に地震や火災などの天災・桜田門外の変などの人災が起こると、その時の雰囲気を変えるために改元をしていたのだ。
これをそれぞれ「祥瑞改元」と「災異改元」と言う。
大化~令和までの元号と、天皇の数が合わないのはそういうコトだ。

【日本の元号】めでたいカメだ!霊亀・神亀・宝亀に改元だっ

ハレー彗星の出現に恐怖した人類 日本では「久安」へ改元

この時代の感覚や基準なら、東京五輪で日本代表が金メダルを獲得して列島が歓喜したら、それが改元の理由になるかも。

 

南条 文雄(なんじょう ぶんゆう:1849年 – 昭和2年)

 

昔の日本人は割とカンタンに改元をしていたから、なかには仏教学者の 南条 文雄のように生涯で、嘉永・安政・万延・文久・元治・慶応・明治・大正・昭和と9回の改元を経験した人もいた。

【現代なら激怒】一人で九つ!“気分”で改元してた昔の日本人

 

中高生の恋愛じゃないんだから、いまの時代に元号が何度も変わると、まわりが振り回されて激しく困る。
履歴書を書くのが面倒になるし、そのたびに、とんでもない仕事量をこなさないといけないシステムエンジニアやプログラマーは過労死しそうだし、もう「元号廃止論」に火がつく予感。
でも、何か良いことがあると元号を変える「祥瑞改元」や、逆の「災異改元」が常識だった幕末・明治初期の日本人にとって、一世一元の制という新しい改元システムには戸惑いや違和感しかなかったらしい。
南条文雄がこう書いている。

日本ではこのときがはじめてなのでなかなかやかましかったものである。それまでというものは好いことがあったと言ってはそれにあやかるために年号を変え、悪いことがあったと言ってはそれを払うために変えるのだから始終変動する。

「懐旧録―サンスクリット事始め (東洋文庫) 南条文雄」

 

戦争が終わって、東京オリンピックを2度も開催した現代の日本では、好いことにあやかったり、悪いことを払うために改元する必要はない。
気分一新のために元号を変えるのは江戸時代までで十分。
元号が始終変動していた時代は終わって、現在の「一世一元の制」が始まったのは1868年だから、この慶応から明治への改元には特に重要な意味がある。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。