きょう11月3日は「みかんの日」や「ゴジラの日」で、そして「文化の日」。
1946年に憲法が公布されたことを記念するこの日は、むかしは明治天皇の誕生日を祝う日だった。
それで文化の日を「明治の日」へ変えよう(戻そう)という動きもある。
明治天皇といえば、生涯で約10万首の和歌を詠んだという日本文化が凝縮されたようなお方。
そんな明治天皇の思想や心情に注目した外国人がいて、30年以上かけて100首を翻訳したアメリカの大学教授が先日、「敷島の道に架ける橋」(中央公論新社)を出版した。
中国の漢詩に対して、日本の歌を「和歌(倭歌)」という。
和歌は訓読みだと「やまとうた」で、古代には「倭歌」と表記されることもあった。
日本最古の和歌は平安時代の前期、849年に登場するから、この文化には千年を超える歴史があると思っている人は、情報をアップデートしてもらう。
というのはつい先日、奈良の平城京跡で、奈良時代前半の木簡から「倭歌」と書かれた文字が見つかったことで、「日本最古」が1世紀も早まったから。
いまでも新年になると皇室の開催する「歌会始の儀」で和歌が詠まれているから、この日本文化には1200年ほどの伝統があるということになる。
遣唐使を派遣して、中国から積極的に進んだ文化や技術を導入していた奈良時代に、「やまとうた」という日本固有の歌が生まれたというのは、日本人は中国の文化を吸収しても、けっしてそれに取り込まれることはなかったということだろう。
20世紀前半の歴史家の津田左右吉(そうきち)もそんなことを言う。
*支那は中国のこと。いまでは侮辱語になるから使用はNG。
日本は、過去においては、文化財として支那の文物を多くとり入れたけれども、決して支那の文化の世界につつみこまれたのではない
「支那思想と日本」
津田の説は、戦後の古代史研究における大きな成果であり、津田史観と呼べる見解は今日の歴史学・考古学の主流となっている。
謡曲(ようきょく)に「白楽天」がある。
日本人の知性を試そうと、白楽天が中国から海を渡ってやってくると、小舟で釣りをしている漁師と出会う。
白楽天がその場の景色から漢詩を作ると、漁師はすぐにそれを和歌にして言い返す。
実は住吉大神の化身だった漁師は、日本ではカエルやウグイスまでも歌を詠むのだと言って白楽天を驚かせ、最後は他の神々と「神風」を吹かせて白楽天を中国へ戻してしまう。
中国人の漢詩に和歌で対抗するこの「白楽天」からは、日本人の日本文化への自信や誇りが感じられる。
といっても、日本初の漢詩集「懐風藻(かいふうそう)」は奈良時代に成立したから、日本人は漢詩を排除することなく、それを楽しみながらも独自の文化をはぐくんでいたことになる。
優れたモノは優れていると素直に認めて、それを吸収すると同時に、日本人は独自性を発揮して日本らしい文化を作ってきた。
そしてはそれはいまも受け継がれている。
日本人と外国人が驚く、海外のニセ日本料理と本物の和食との違い
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