11月7日は「イイナの日」。
日本語の「いい」は状況によって「OK/ノーサンキュー」の意味になるから、外国人には理解がむずかしい。
見る人によって解釈が変わるのは歴史も同じだ。
1917年に「2月革命」が起きて、ロシア帝国は崩壊し新政府が誕生する。
そして同じ年の10月にその新政府をぶっ倒すため、レーニン率いるボルシェビキがまた革命(10月革命)が起こし、きょう11月7日にそれが完了したことから「ロシア革命記念日」になっている。
そして1922年にソビエト連邦が爆誕した。
*2月と10月の2つを合わせて「ロシア革命」という。
同時にアメリカではロシア革命100周年を記念して、トランプ前大統領が2017年に、11月7日を「共産主義犠牲者の国民的記念日」にした。
現在のロシアがどう思っているか知らんけど、旧ソ連時代なら「ロシア革命記念日」は輝かしい栄光の日とされていたはず。
でも、冷戦で対立を続けていたアメリカにとって、共産主義はまさに悪のカタマリ、諸悪の根源。
だからその思想によって、命を奪われた世界中の人を追悼する日をアメリカがつくる発想は分からなくもないが、これは冷戦の勝者として、自分たちを記念しているようにも見えてしまう。
これがトランプ氏の独断でないことは、米議会議事堂のすぐ近くにある「共産主義犠牲者追悼記念碑」が教えてくれる。
共産主義の専制政治を否定するこの記念碑にはこう刻まれている。
「共産主義の1億人以上の犠牲者と自由を愛する人々へ」
(To the more than one hundred million victims of communism and to those who love liberty)
「共産主義犠牲者追悼記念碑」の案は1993年に米議会で全会一致で可決され、ビル・クリントン大統領の署名を経た後、2007年のブッシュ大統領の時代に公開された。
記念碑の公開セレモニーでスピーチするブッシュ大統領
1922年に誕生した共産主義のソビエト連邦と、資本主義を掲げるアメリカはもはやぶつかる運命にあった。
その冷戦の始まりを、1945年に行われた「ヤルタ会談」に求める人は多い。
第二次世界大戦の勝利が見えてきたころ、米英ソの連合国首脳がクリミヤ半島にあるヤルタに集まって会談を行った。
ソ連の対日参戦や国際連合の設立について話し合われたこの会議の後、本格的な東西冷戦がうまれたとされる。
そしてトキは流れて、1989年に地中海のマルタで米ソのトップ会談が開かれ、冷戦の終結宣言が出されて、91年にソ連が崩壊した。
「ヤルタで始まりマルタで終わった」冷戦終結から30年後のいま
その2年後にアメリカで「共産主義犠牲者追悼記念碑」が議会で可決されたのは、ソ連滅亡(=共産主義の敗北)という結果を受けてのはず。
ロシア革命記念日の11月7日をあえて共産主義犠牲者の日にしたことからも、亡くなった人たちを悼みつつ、アメリカが冷戦の覇者となったことを記念しているように見える。
「死んだ犬を蹴飛ばす」的なイヤらしさや、四天王が悪鬼(邪気)を踏みつけるような印象。
でも、それはとってもアメリカ人らしい考え方だと思う。
プーチン大統領はそんなアメリカが大嫌いで、いまウクライナ戦争で冷戦の続きをしているのかも。
苦しそうな邪気と持国天
冷戦が生んだインターネット:人類初の送信が「LO」だったわけ
日本人にとって中国人がつき合いやすい理由は“共産主義”だから
スターリン:平等な社会(共産主義)を約束する人類5位の金持ち
コメントを残す