「ヤルタで始まりマルタで終わった」冷戦終結から30年後のいま

 

まずはクイズから。

「ヤルタで始まって、マルタで終わったものってなに?」

 

答えは「冷戦(体制)」。
まあ、記事のタイトルにあるんですけどね。

1945年2月、クリミア半島のヤルタに米、英、ソ連のトップが集結して首脳会談が開かれた。
第二次世界大戦はこれら連合国の勝利が確定的になったから、ここでその後の世界のあり方について話し合われたわけだ。
そこで国際連合の設立、ドイツとヨーロッパ中部・東部での米ソの利害調整など戦後の国際社会の枠組み(国際レジーム)がきめられた。
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ヤルタ会談

 

このヤルタ会議が東西冷戦のスタートにもなる。
ソ連をボスとした社会主義・共産主義の東側とアメリカをボスとした自由主義・資本主義の西側陣営に世界が分かれて、静かに激しくにらみ合っていた。

ソ連がキューバにミサイル基地を建設しようとしたことをめぐって、米ソが核戦争寸前まで対立したのもこのときだ。(キューバ危機)
キューバのカストロ議長はこのときマジだった。

カストロは、核ミサイルをアメリカに打ち込むべきだとソ連に伝えていた。
カストロは、フルシチョフがミサイルの撤去を決めたことをラジオで知って激怒し、鏡をたたき割って八つ当たりをした

「核時計零時1分前 (NHK出版)」

くわしいことはこの記事をどうぞ。

平和について③キューバ危機とデタント・核戦争と核軍縮

 

冷戦時代の世界
赤は東側陣営の国、青は西側の国(日本は西側)

 

こんな東西の冷戦が終わったのが1989年12月3日のマルタ会談。
地中海のマルタで米ソのトップ会談が行われて、44年間続いた冷戦の終結宣言がだされた。

ゴルバチョフ、ソビエト共産党書記長はこう言う。

「世界は一つの時代を克服し、新たな時代へ向かっている。我々は長く、平和に満ちた時代を歩き始めた。武力の脅威、不信、心理的・イデオロギー的な闘争は、もはや過去のものになった。」

ブッシュ、アメリカ合衆国大統領はこう語った。

「我々は永続的な平和と、東西関係が持続的な共同関係になることを実現することが出来る。これはマルタで、ゴルバチョフ議長と私がまさに始めようとする未来の姿だ。」

このことから、「ヤルタからマルタへ(”From Yalta to Malta”)」という表現が使われるようになる。

 

ヤルタ会談(前列左からチャーチル、ルーズベルト、スターリン)で始まり、下のマルタ会談(ゴルバチョフとブッシュ)で終わった。

きょう12月3日はそれからちょうど30年になる。
ソ連崩壊後、世界で唯一の超大国だったアメリカも最近では経済力や軍事力で他店圧倒、いや他国を圧倒できなくなってきた。
そんなわけで、読売新聞が社説(2019/12/03)で日本に果たすべき役割を要求している。

日本や欧州などの同盟国は、米国の力の陰りに適切に対処することが求められる。米国の負担が重すぎる部分があれば、応分の責任を果たさねばなるまい。

冷戦終結30年 国際秩序をどう立て直すか

「我々は長く、平和に満ちた時代を歩き始めた」とか「永続的な平和」いう話は何だったのか。

 

これまで日本は「ついていく」だけでよかったけど、今後はそうも言っていられないらしい。
冷戦が終わって世界がハッピーになると思った時代もありました。
日本にとってはむしろこれから30年が大勝負だ。

 

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カテゴリー: ヨーロッパを知りましょ!

 

2 件のコメント

  • 歴史にifはありませんが、もし日本がもっと早く降伏してれば、沖縄地上戦、広島・長崎原爆投下、ソ連の対日参戦、朝鮮分断はなかったかもしれません。

    個人的には、ドイツが降伏した直後にも日本も降伏してたら良かったと思います。

    大日本帝国もナチスドイツも独裁国家でしたが、旧ソ連・中国・北朝鮮と違い指導者は国民投票で選ばれました。

    日本の左翼は大日本帝国やナチスドイツは猛批判するにも関わらず、旧ソ連・中国・北朝鮮を擁護或いは賞賛するか全く理解出来ません。

  • 敗戦が見えてきたころから、日本では降伏の話も出ていました。

    https://ja.wikipedia.org/wiki/日本の降伏

    でも結局、軍部の暴走をとめられる人がいなかったのでしょうね。玉音放送をさせまいとする勢力もあったぐらいですから。
    沖縄地上戦、広島・長崎原爆投下も悲惨でしたが、終戦間際のフィリピンにいた日本兵も辛酸をなめました。
    食べ物がなくなって、日本兵が日本兵に食べられるという事態が起こりました。
    未来は変えられますから、くり返さないことが大事です。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。