【源平合戦】富士川の戦いで、“カン違いで平氏が負けた”説

 

寒い!
冬も近づくこのころ、平安時代末期に重要な決戦「富士川の戦い」がおこなわれた。
気候も人も穏やかなわが静岡で、日本の歴史を左右するような戦いはあまり記憶にない。
その意味でこの戦(いくさ)はレア。

まず後白河法皇の息子で皇子だった以仁王(もちひとおう)が平氏打倒のために挙兵し、各地にいた源氏に「トキはきた!」と呼びかけると、源氏の武士がそれに呼応した。
こうして「源氏 vs 平氏」の絶対に負けられない戦いが始まる。
この戦いは最終的には源義経の率いる軍が1185年に、いまの山口県にある壇ノ浦で敵をことごとく海の底に沈め、平家を滅亡させて終了する。そして鎌倉幕府が誕生した。
この「以仁王の令旨」から「壇ノ浦の戦い」までつづく一連の、日本初の全国的な内乱を「治承・寿永(じしょう・じゅえい)の乱」という。
一般的には「源平合戦」で知られている。

「オレは、平氏を討つ!」と以仁王が決意し、1180年に挙兵をうながす書状を各地に送ると、伊豆にいた源頼朝がそれを受け取り、「御意」と立ち上がった。
富士川の戦いは同じ年(1180年)にあったから、これは「治承・寿永の乱」のかなり初期におこなわれた一戦だ。
初戦に勝つと戦意が高まって全軍に勢いが出てくるから、これは中世の合戦でも、2週間後のサッカーW杯でも重要な要素になる。
京都から派遣された平 維盛(たいら の これもり)の軍を富士川で破ったのは頼朝か、それとも途中で合流した甲斐源氏か見方は分かれるとしても、とにかく源氏が平氏に勝利した。
歴史の「タラレバ定食」にはキリが無いんだが、もしここで源頼朝が討たれていたら、アニメに登場する“別の世界線の日本”というレベルで、日本はいまとまったく別の国になっていたはずだ。

この富士川の戦いにはこんなエピソードがある。
近くで水鳥の大群が一斉に飛び立つと、戦いにビビっていた平氏側の兵士らは、「源氏の大軍が攻めてきた!」壮大なカン違いをして自分たちも一斉に逃げ出して、大混乱におちいり総崩れになって敗北したという。
ツッコミどころはあるけれど、この「水鳥の羽音」説はわりと有名。
「臆病者の目には、常に敵が大軍に見える」という織田信長の言葉はいつの時代にも通じる。

ということで新幹線や車で富士川を通るときは、800年ほど前にここで重要な戦いがあったこと、時々でいいから、思い出してください。

 

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。