いまカタールで行われているサッカーW杯は、これまでの大会と違って独特の雰囲気がある。
初めてイスラム圏の国で開催されたこの大会では、スタジアムでビールを飲むことができない。
イスラム教を国教とするカタールでは、日本でたとえるなら聖典のクルアーン(コーラン)は最高法規の憲法で、イスラム法(シャリーア)が法律になっている状態だから、公共の場で酒を飲むことは違法行為になる。
*例外的に認められたレストランやバーでの飲酒はOK。
サウジアラビアやシリアなども同じ状況で、国民の食べる物や着る物、表現の自由の範囲もイスラム教の教えによって決められている。
宗教の教えがそのまま社会の法律になっている国は、日本や欧米とは根本的に違うのだ…。なんて思ってしまうかもだけど、歴史的にみれば日本はむしろ仲間はずれなのだ。
1520年12月10日は、ドイツのマルティン・ルターがローマ・カトリック教会を敵に回した日。
カトリック教会を批判していたルターに対して、その主張を撤回しなければ破門すると教皇レオ10世が脅すと、ルターはこの日、その警告文書を市民の前で燃やしてしまう。
むかしのヨーロッパで教会から破門されるというのは、他人との交際が禁止されて社会的に追放されることを意味する。
11世紀に神聖ローマ帝国皇帝ハインリヒ4世が、カトリック教会から破門をくらった。
こうなるともうキリスト教徒はこの皇帝との付き合いを絶たないといけないから、家臣たちが忠誠を誓うこともできなくなる。
「余は皇帝である。でも家臣はいない」というのはマンガの世界。
皇帝の地位を失いたくなかったハインリヒ4世は雪の降るなかで3日間も、カノッサの城門で裸足のまま祈り続けて、教皇に破門を解除してもらった。(カノッサの屈辱)
16世紀にはこれほどの威力はなかったとしても、カトリック教会から破門されるというのはかなりの重大事。
さらに神聖ローマ帝国皇帝カール5世の名によって、ルターはドイツで法律の保護の外に置かれることとなる。法律で守る対象ではなくなったから、誰かがルターを殺しても罪にはならない。
(帝国アハト刑)
これはもう国が国民に、「アイツを殺ってしまえ」と宣言したようなもの。
どうするルター?
ピンチにおちいったルターは偽名を使って生活することになるが、捨てる神あれば拾う神ありで、数百年もの間、独善的に振る舞っていたカトリック教会は敵を量産していた。
ローマ教皇の警告文書を燃やしたルターを支持する人もいたから、そうした勢力の保護下で、ルターは反カトリックの宗教改革を進めていく。
彼が誕生させたプロテスタントは諸外国に広まっていき、ヨーロッパにおけるカトリックの権威を失墜させた。
このころのヨーロッパは政治と宗教が一体化していたから、社会体制としてはいまのカタールやサウジアラビアと同じだ。
キリスト教の教え(宗教法)がそのまま社会の法となって、人びとはそれを守って生活しないといけない。
「カトリック一強」を崩壊させたルターの宗教改革は、それを変える大きなきっかけとなった。
カトリックから分離するかたちでプロテスタントが生まれて、それがヨーロッパ各国を巻き込む宗教戦争の原因となる。その後、殺りくと破壊に疲れた人々は政治と宗教を切り離していき、ヨーロッパ社会は少しずつ世俗化していく。
その後、キリスト教の世界観を批判し、人間性の解放を目ざす啓蒙思想がヨーロッパ中に広がっていき、それを思想的土台としてフランス革命が起こると、キリスト教は完全否定された。
キリスト教が政治から切り離されるまで、ヨーロッパでは数百年もかかっている。
(ヨーロッパにおける政教分離の歴史)
むかしのヨーロッパやいまのイスラム諸国に比べれば、日本では政治と宗教が一体化していなかったから、国民が宗教法に縛られたこともなかった。
特定の宗教が絶対的な権威として君臨していて、そこに破門された天皇や将軍が雪の降るなか、祈り続けて許しを請う「カノッサの屈辱」のような出来事は一度も起こらなかった。
世界的にはヨーロッパやイスラム世界のような国が多くて、むかしから政教分離が進んでいた日本のような国はきっと少数派だ。
日本にはない、キリスト教やユダヤ教の「神との契約」という考え方
キリスト教とイスラム教の大きな違い。「受肉」の意味とはなに?
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