1408年のきょう12月12日、ハンガリー王ジギスムントによってドラゴン騎士団が設立された。
騎士団ってのはキリスト教のために敵と戦う戦士集団で、ヨーロッパにはテンプル騎士団、聖ヨハネ騎士団、聖ラザロ騎士団といった有名なグループがいた。
異世界転生アニメに出てきそうな「ドラゴン騎士団」は、ハンガリー王室や十字架(キリスト教)を守るために結成されたもので、主要な敵はオスマン(トルコ)帝国だ。
ただ規模は小さくて、ジギスムントが亡くなると同時に没落していく。
ドラゴン騎士団のメンバーの1人がワラキア公ヴラド2世で、その息子がヴラド3世(ヴラド・ツェペシュ)。
「ドラキュラ」のニックネームを持つヴラド3世は、吸血鬼「ドラキュラ」のモデルになった人物として有名だ。
ドラキュラの名前の由来は、父ヴラドがドラゴン騎士団の一員となった後に付けられた「ドラクル」というあだ名にある。
*ドラクル(Dracul=ドラゴン公)。
そしてドラキュラとはスラブ語で「ドラゴンの息子」の意味。
現代のルーマニア語で「dracul」は「悪魔」を意味して、これがヴラド3世(ドラキュラ公)の評判につながった。
His name had its origin in the sobriquet of his father, Vlad Dracul (“Vlad the Dragon” in medieval Romanian), who received it after he became a member of the Order of the Dragon.
Dracula is the Slavonic genitive form of Dracul, meaning “[the son] of Dracul (or the Dragon)”.In modern Romanian, dracul means “the devil”, which contributed to Vlad’s reputation.
ルーマニアにあったワラキア公国の君主・ヴラド3世(ドラキュラ公)
ヴラド3世は無慈悲で残忍で、吸血鬼でも血の気が引くような鬼畜。
ワラキアの貴族ダン3世が攻めてくると、その軍を返り討ちにした後、ヴラド3世は捕虜となったダン3世に自分の死刑宣言文を読ませ、無理やり墓穴を掘らせたうえでその首を斬る。
ヴラド3世は相手に苦痛や屈辱を与えて、その様子をニヤニヤしながら眺める超サドな趣味を持っていたと思われる。
そんなドS公・ヴラド3世に大ピンチが訪れた。
当時、世界最強レベルの軍事力をもっていたオスマン帝国が攻めてきたのだ。
*ヴラドがオスマン帝国の使者を生きたまま串刺し刑にしたことが原因だから、これは巨大なブーメランではある。
積極的なヴラドは城に閉じこもっているのではなく、皇帝メフメト2世の首をねらって、みずから城外へ撃って出てオスマン軍に攻撃をしかける。
この夜襲でメフメト2世を消すことはできなかったが、オスマン軍に大きなダメージを与えることはできた。
このあと攻勢に出たメフメト2世とオスマン兵がヴラドの城に入って目にしたのは、串刺しで殺された人たちの山ではなくて、「死体の林」だった。
2万人ほどの男、女、子供が串刺しにされていて、トルコ人や皇帝メフメト2世のを驚がくさせたという。
There were large stakes there on which, as it was said, about twenty thousand men, women, and children had been spitted, quite a sight for the Turks and the sultan himself.
これはヴラドに処刑されたワラキア公国の人たちらしい。
そんなことで彼は「ツェペシュ(串刺し公)」と言われるようになる。
串刺しになった死体を見ながら、食事を楽しむヴラド3世
こんな鬼畜な「ドラキュラ公」からインスピレーションを得て、19世紀にアイルランド人作家のブラム・ストーカーが小説『吸血鬼ドラキュラ』を発表すると、英国紳士のようなドラキュラがその後の定番となる。
ドラキュラとヴァンパイアの違いはこの記事で確認のこと。
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