2014年のハリウッド映画「GODZILLA ゴジラ」では、製作中にこんなことがあったらしい。
沖縄タイムスの記事(1/21)
【独自】米「ゴジラ」原爆批判のせりふ削除 国防総省の抗議で 2014年映画
原子爆弾が投下された直後の広島で、目覚めると黒焦げの死体に囲まれていたーー。
渡辺謙さん演じる科学者が、そんな父親の被爆体験を語るシーンがあった。
それを知って、映画製作に協力していた米国防総省は「完全に不必要で不当だ」と怒り、「もしこれが広島と長崎に原爆を投下した決定への謝罪や疑問視を意味するなら、そこで終わりだ」と迫ったことで、このシーン(セリフ)はすべて削除された。
その一方で、空母での撮影を許可するなど、国防総省はこんなリクエストをする。
同省は米軍をよりよく見せようと、脚本全体に注文を付けた。主人公の海軍兵をもっと「好人物」に描くことや、兵士の死者を減らすことを求め、製作者は全て受け入れた。
このニュースに日本のネット陪審員のジャッジは?
・国によって事情あるししかたねえだろ
・全然自由な国じゃないな
・まあ撮影協力する以上、中身にも口出しはするだろ
・この手のしたたかさが日本にはない
・自由の国が云々とか的外れなこと言ってる奴がいるが、誰も強制はしていない
嫌なら断ればよかっただけだ
・水俣病をハリウッド映画化するハナシあったらしいが
地元自治体撮影協力拒否したそうな
10年ほど前の映画で1分ほどのシーンがカットされたところで、「イマサラベツニ」という見方が日本ではほとんどだ。これよりも、近く電気代が値上げされるという情報のほうに、国民の関心や怒りが集中している。
でも、「原爆投下の責任」はアメリカ人にとってかなり重要なテーマで、これに対するアメリカ批判には超敏感肌な人は多い。
いまのアメリカ人はこの悲劇についてどう考えているのか?
75年前、広島に原爆が落とされた時、トルーマン大統領はこう言った。
「ポツダムで7月26日に最後通告が出されたのは、日本国民を完全な破壊から救うためであった。日本の指導者たちは、この最後通告を即刻拒否した。」
いまでも原爆投下について、結果的に日本人(やアメリカ人)の犠牲を減らすことになったと正当化したり、降伏が遅かったからと日本の責任にする人はよくいる。
子供をふくめて20万人以上の市民を殺害したことについて、アメリカは謝罪することはないけれど、きっと良心は痛んでいるし罪悪感も感じている。
「完全に不必要で不当だ」という反応はその裏返しだろう。
だから、こんなことを言う外国人がいると激しく反発するのだ。
these days you find with no shame USA talks about freedom and humanity.
The truth is annoying isn’t it.
It was a terrorist act.
最近のアメリカは恥ずかしげもなく、自由や人間性について語ります。
真実は腹立たしいものですね。
あれ(原爆投下)はテロリストの行為でした。
数年前の8月6日、日本に興味のある外国人が集まるSNSグループに、ボクが原爆投下についてアメリカ非難は一切なしで、「こんな悲劇がありました。二度と繰り返さないことを願います」という投稿をしたら、どこぞの外国人が上のコメントをした。
その後アメリカサイドから、猛烈な反論があったことは言うまでもない。
それはそうだろう。
米軍を「もっと好人物に描くこと」を希望するアメリカ側からしたら、原爆投下を「テロ行為」と呼ばれるのは最低最悪だ。
いまの日本で広島・長崎への原爆投下について、アメリカの責任を追及し、謝罪を要求する人なんて例外中の例外だ。
ほとんどの日本人は約80年前のことでアメリカに怒るのではなく、核兵器の廃絶という未来に関心を向けている。
過去にこだわっているのは、むしろアメリカ人のほうだ。
原爆投下を決定した当時のアメリカに対して「謝罪や疑問」を示すことは厳禁で、それに触れたら「そこで終わりだからな」となる。
自由や人権について外国を批判するアメリカにとっては、「It was a terrorist act」という世論が広がることは絶対に避けたいらしい。
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