日本に住んでいるトルコ人とアメリカ人と回転寿司店へ行って、寿司を食べていると、近くの席からこんな会話が。
「やっぱ寿司は日本人が握るものに限る!」
「だよなー。黒人が握った寿司なんてムリだわー」
ド不幸中の幸いは、目の前の外国人2人が日本語を理解できなかったこと。
無神経な発言ならまだしも寿司屋で差別発言とか、日本人のボクでも理解できない。
10年ほど前に東京に住んでいた韓国人女性に、最近こんなあり得ないコトがあったと話すと、「それはヒドイですね。まあ韓国でも、外国人に韓国語は分からないと思って、とんでもないコトを言う人はいそうですけどネ」と言った後、その話を聞いて日本で経験した不快な出来事を思い出したという。
自分と同じく東京にいた韓国人の友人とファミレスで、ご飯を食べながらいろいろ話をしていると、後ろの座席から、こんな日本人の声が聞こえてきた。
「うっるせーな。韓国語を使うな」
一瞬、身体の動きが停止したけれど、目の前にいた友人はそれにも声にも気づていない。
久しぶりに会った友人との会話が楽しかったから、ついつい声が大きくなっていたかもしれない。
これは素直に反省するとしても、後半は明らかな差別発言で許せるものじゃない。
とりあえず声のボリュームを小さくして、それでももう一度、同じことを言ったら、その日本人(中高年の男性)には文句を言ってやろうと思ったけど、結局その瞬間は訪れなかった。
そんな経験談を聞いて、韓国で不快な思いをしたという日本人の話を思い出す。
韓国の宿で出会ったその日本人は2000年ごろソウルに住んでいて、大学で学んでいたから韓国語を理解できる。
彼が日本からやってきた友人を連れて、日本のガイドブックによく載っている有名な市場を案内していた時、たまたま入った店で50代らしきおっさん2人が話をしていた。
そのうちの1人の口から「チョッパリ」(日本人への差別語)という言葉が聞こえてきて、「またか…」と思ったら、次の瞬間、「いくらぼったくってやろうかな」とおっさんが笑いながら言う。
「え?」と驚いて思わず2人のほうを向いたら、あちらはもっと驚いた顔をしてこっちを見ている。
店員「君は韓国語が分かる…の?」
日本人「ええ、はい…。ソウルに住んでいますから」
店員「…」
日本人「…」
というやり取りがあって、その場は息苦しい空気に包まれる。
すると、「それはスバラシイ!じゃあ君には特別に、50%引きにしよう!何でも好きな物を選んでくれ!」とおじさんは破顔一笑。
発言の責任を認めて謝罪するのではなく、代わりに「特別サービス」をして帳消しにしようとするのは、とても韓国人らしい発想だなとその日本人は思った。
ただならぬ気配を感じて「どうした?」と聞く友人に、「何でも半額でいいって」と言うと、「マジかっ」とよろこんだし、その韓国人にも悪意は無さそうだったから、まあいいかで済ませたという。
日本と韓国で共通しているのは、国内にいる外国人は例外的に少数で、国民のほとんどは同じ人種で占められている点だ。
そのせいか、「外国人に日本語(韓国語)は分かるまい」と、言葉が壁になると思っている人が多いような気がする。
韓国の事情は知らないけど、いまの日本には外国人が約300万人もいて、日本人と結婚した人もいるし、日本語を理解できる人はめずらしくない。
レストランで「黒人が握った寿司なんて~」と言うのは言語以前の問題として、もはや日本語は”カベ”になっていないことは知っておいていい。
でもないとこれからの日本では、思わぬトラブルを引き起こす予感しかない。
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