建国記念日の無い日本は、リトアニアの歴史と比べると幸運だ

 

「長い歴史の中で、わが国は幾度となく大きな困難や試練に直面してきたが、先人たちは、そのたびに勇気と希望を持って立ち上がり、明治維新や高度経済成長などの幾多の奇跡を実現してきた。そして自由と民主主義を守り、人権を尊重し、法を貴ぶ国柄を育ててきた」

先日の2月11日は建国記念日じゃなくて「建国記念の日」だったんで、岸田首相がこんなメッセージを発表した。
それはそうなんだけど、いま国民が直面している物価高という試練には勇気も希望もなくなりそう。

1776年7月4日に独立宣言をしたアメリカでは、歴史的にハッキリしているからその日が「独立記念日」(建国記念日)となっている。
それに対して日本では、初代天皇の神武天皇が即位したという紀元前660年2月11日に由来して、この日を「建国記念の日」としている。
でも、これは神話であって歴史じゃない。
「長い歴史」どころか日本の歴史は長すぎて、〇年〇月〇日に成立したという「建国記念日」なんてわからないから、途中に「の」をつけてチョットぼかした表現にしているのだ。

「の」がある理由:建国記念の日とクリスマスとの共通点

 

日本はこれまで、何度も大きな困難や試練に直面してきたというのは事実。
そしてご先祖さまはそれを克服し、奇跡を実現したというのもまさにそのとおり。
でも海外にある多くの国と比べると、日本には一度も直面していない「困難や試練」がある。
今回はそれをリトアニアから学ぼう。

 

 

東ヨーロッパにあるリトアニアってこんな小さな国。

面積:6.5万平方キロメートル(島根県よりすこし小さい)
人口:約279.0万人
首都:ビリニュス(人口約54万人)
言語:リトアニア語
宗教:主にカトリック

外務省HP「リトアニア共和国(Republic of Lithuania)基礎データ」から。

リトアニアといえば、日本では6000人のユダヤ人の命を救った杉原千畝が知られている。が、知人のリトアニア人の話では、残念ながら現地で杉原はほとんど知られていない。

 

リトアニアのパスポート

 

日本の大学に留学していたリトアニア人に独立記念日をたずねると、2月16日と3月11日と言う。
そうか、なるほど。
って、なんで独立記念日が2つもあるんだ?
ワケを聞いてみると、四方を海に囲まれた日本と違って、ロシア(旧ソ連)とドイツという大国にはさまれた小さな国には宿命的な悲しみがあった。

18世紀にリトアニアがロシアに支配されると、「リトアニア人はロシア人である」という認識を押し付けられ、アイデンティティーも奪われた。
自由を求める動きがあっても、すぐにロシアに潰される。
第一次世界大戦が始まると今度は1915年に、東から進軍してきたドイツに占領される。
1917年にロシア革命が起きてソビエト連邦が成立するとと、この混乱を機に、リトアニアは1918年2月16日に独立を宣言した。
それにちなんで、現在ではこの日がリトアニアの独立記念日とされている。
でもその喜びは平家物語ふうにいうと、春の夜の夢のごとし。

第二次世界大戦がはじまると、リトアニアは1940年にソ連に編入されたと思ったら、すぐにナチス=ドイツに占領される。
ドイツが負けると、今度はまたソ連の支配下に置かれた。
そしてはじまる地獄の日々。

ソビエトに対する抵抗活動も続き、1944-46年に約3万人のパルチザンが活動し、親ソ連の罪での処刑も行った。1946-48年には、ソ連との戦争で1万人のパルチザンが死亡し、1944-53年までに2万人のパルチザンが殺害された

リトアニアの歴史・ソ連による再占領

 

こんな大きな困難や試練に直面してきたが、リトアニア人は勇気と希望を持って立ち上がり、1990年3月11日、ソビエト連邦を構成する共和国の中ではもっとも早く独立を宣言した。
でも、ソ連がそんな“自立”を認めるはずもない。
激怒したソ連が経済制裁を行ったことで、リトアニア経済はインフレ率は100%を記録するなど困難をきわめる。
さらにソ連軍がやってくると、抵抗した多くの市民が殺害される「血の日曜日事件」が発生。
でも逆に、これで心に火がついて、リトアニア国民がソ連の圧力に屈することはなかった。
といっても武力で勝てる相手じゃないから、リトアニアは国際社会でソ連の侵略を非難し、自分たちへの支持を訴える。
国際的な圧力をくらったソ連は1991年にリトアニア、ラトビア、エストニアの独立を承認して、この3国は完全に解放された。(リトアニア独立革命

1991年に上皇后さまが詠まれたこんな和歌がある。

秋空を 鳥渡るなり
リトアニア ラトビア エストニア
今日独立す

 

ということで、リトアニアでは2月16日が独立記念日で、3月11日は独立回復を宣言した日になる。
どっちも主権を取り戻したことを意味して、国民にとっては同じぐらい大事だから、知人はリトアニアには独立記念日が2つあると言う。
そんな彼は、日本がどっかの国の植民地だったと一人で勝手に思い込んでいた。
「いや、日本にそんな歴史はないんだが」とボクが言うと、「マジでっ!」と意外そうな顔をする。

紀元前660年にできたという神話から、日本ではその日が建国記念の日となっていて古代から現在までずっと続いている。
そう聞いたリトアニア人は、「じゃあ日本は一度も他国に支配されたり、独立運動をしたこともないのか。リトアニアとはまったく違うね。すごく幸せな国だ」と言って、彼は国旗について触れた。
リトアニア国旗の黄色は大地で緑色は自然、そして赤色はリトアニアのために流されたすべての血を表している。

 

 

リトアニアの自由のために流された血を、国民はこの上なく尊いものだと考えている。
他にもトルコやバングラデシュのように国旗にある赤色は、国のために戦った国民の血を表すという国は海外ではよくある。
でも日の丸の赤はまったく違うし、国旗に血があると、引いてしまう国民が日本では多いと思う。
アメリカやリトアニアのように独立のために戦った歴史の無いことはラッキーだったけど、そういう困難や試練を知らないと、安全保障の面で外国人との認識の差は広がるしかない。

 

 

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4 件のコメント

  • 日本は建国記念日じゃなくて「建国記念の日」なんですね。 初めて知りました。
    韓国は1948年8月15日に建国しました。当然建国記念日は8月15日ですよね。しかし、左派と左派学者は1919年4月11日を建国記念日と言います。日本統治時代に韓国臨時政府を作った日ですね。まだこの論難は終わっておらず、進行中です。国は一つですが、二つの建国の日を持つ、とても混沌とした国ですね。追求する理念によって建国の日まで異なる書き方をしなければならないこのCHAOESは、いつ終わるのでしょうか。

  • 日本の建国記念日は分からないから、「建国を祝う」という意味で建国記念の日です。
    韓国にも建国記念日は2つありましたね。
    でも、日本の外務省HPには「1948年(8月15日)」と書いてあります。
    きのう、韓国では政治問題でよく2つに分かれてケンカになると記事に書きました。
    これもそうですね。

  • 韓半島の歴史では数多くの王朝国家が明滅しました。
    BC2333年に建国した最初の古朝鮮から高句麗、百済、新羅の3国時代を経て、高麗と朝鮮までの王朝国家があり、現在は大韓民国です。韓国の歴史学者たちは、「BC2333年前の古朝鮮」を「歴史」と記述していますが、それは「建国神話」に過ぎません。 国の形をしていたという根拠はないからです。この部分についても大きな論争が繰り広げられています。
    しかし、大韓民国の建国日をめぐる論争は論理的には起こりえません。たしか1948年8月15日ですよね。左派が主張する1919年4月11日は「臨時政府樹立日」に過ぎません。当時、朝鮮は日本帝国主義の統治を受けていて、朝鮮人は皆日本の臣民として暮らしていました。国家の3要素である「国民、領土、主権」がなかった時代です。にもかかわらず左派が4月11日を建国日と固執する理由は、北韓が韓国の建国日を認めないからです。
    理念は本当に恐ろしいものです。

  • >4月11日を建国日と固執する理由は、北韓が韓国の建国日を認めないからです。
    なるほど!
    根底には北朝鮮との一体感があったのですね。
    日本でも「1919年説」は受け入れられていません。
    これは強引すぎますから。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。