日本人が昔からすっごく恐れていたもの。
それが「地震、雷、火事、親父」で、これは日本における恐怖の四天王と言ってよし。
でも、いまでは母親のほうが怖い家もあるし、オヤジは四天王からは脱落した。(ポリコレのほうが恐ろしいこともある)
雷も大人ならそう大したものでもないから、現代では地震と火事がツートップだ。
地震、雷、火事の神さまが集まって宴会をしている絵。
「オヤジ」はこの絵を買ってくれるお客さんだから、別枠になっているらしい。
(安政大地震絵『地震雷過事親父』国会図書館デジタルコレクション)
上の絵で火事を「過事」と当て文字で表現しているのは、当時の日本人が火事を忌み嫌っていて、文字ですら書きたくなかったからでは?
「過ぎたこと」とすると何となく縁起が良い。
「火事と喧嘩は江戸の華」と言われるほど、江戸時代には火事がよく起きて、木と紙でできていた建築物を燃やしまくって大きな被害を出していた。
ではここでクエスチョン。
「江戸の三大大火」と言えば、明暦の大火・明和の大火・文化の大火の3つのことなんだが、この中で最悪の火事はどれ?
答えは、1657年3月2日に起きた明暦の大火。
この時期はもともと乾燥していて、この日は風も強かったから、街から火が上がるとたちまち炎が江戸をのみ込んで、死者の数は10万人を超えたという説もある。
延焼した面積、死者ともにこれは空前絶後だ。
世界的にみても明暦の大火は大惨事で、ローマ大火とロンドン大火と並び「世界三大大火」に数えられることもある。
日本国の弱点は火事で、戦いでは相手のウィークポイントをつくのが鉄則。
ということでアメリカ軍は、江戸時代に起きた火事や1923年の関東大震災についてよ~く調べて、火元・風向き・延焼状況などを把握したうえで東京大空襲を行ったから、1日で10万人以上の犠牲者が出た。
これをした日が1945年(昭和20年)3月10日で、明暦の大火と同じころだったのはアメリカ軍のみごとな分析の結果だ。
本当に合理的で無駄と慈悲がない。
大空襲で焦土となった東京
さて、日本人は昔から縁起かつぎが大好き。
落ちそうで落ちない石があると、それはご神体として祀られて、受験生がよく合格祈願に行く。
そんな話をアフリカ人(ナイジェリア人)にすると、「オ~、日本人マジかよ」と笑い出す。
アフリカ人から見ても、日本人は迷信や縁起を気にするのだ。
だから不吉な名称があると、縁起の良いものへ変えることがよくある。
たとえば東京にあった「亀無」という地名は、長寿の象徴であるカメが「無し」ということで縁起が悪いから、江戸時代にいまの「亀有」に改称されたといわれる。
東京にあるオタクの聖地・秋葉原にも、きっとそんな思いが込められている。
明治時代にこのへんで大きな火事が起きた後、もうそんな惨事が起きませんようにと、火防(ひよけ)の神である秋葉大権現(だいごんげん)を祀る秋葉神社を建てたことから、「秋葉原」といわれるようになった。
実は別の神さまを祀ったのだけど、地元の人たちが秋葉大権現とカン違いしたという説もある。
どっちにしろ、秋葉神社がこの地名の由来になったという事実は動かない。
火防の神の名前を付けたことで、土地と神を一体化させる意味もあったと思われ。
このことは秋葉大権現の起源で、全国の秋葉神社の総本社「秋葉山本宮秋葉神社」のある浜松市民としてはとても誇らしい。
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