上海租界の「犬と中国人は立ち入るべからず」はガチ

 

上海でおこわれたモーターショーで、外国人には無料でアイスを渡すのに、中国人には「もうなくなった」と拒否する”事件”がぼっ発して中国で批判が殺到した。

【上海・アイス事件】中国人をいちばん見下すのは中国人?

こんな中国人による中国人差別と違って、今回は中国史であった外国人による差別の実例を紹介しよう。

 

上海と横浜は歴史的には似ている。
もとはどっちもただの漁村だったのに、19世紀に西洋列強がやって来るようになると、外国人の居留地になったことがきっかけで国際都市になり、後に大都市へと発展していく。
日本は主権をどこにも奪われなかったから、横浜は日本のモノだった。
でも、上海はアヘン戦争でイギリスに負けて開港させられたところで、イギリスやフランス、日本などの租界になったから横浜とは違う。
ちなみに日本人が多く住んでいた虹口区は「小東京」とよばれた。
治外法権の「上海租界」に中国(清)は手出しができなかったから、ここは実質的に各国の支配地域になっていた。

この時代の外国人と中国人の立場、ハッキリいうと”身分”の違いを表す有名な言葉に、上海の黄浦(こうほ)公園にあった「犬と中国人は立ち入るべからず」という注意書きがある。
これは作り話だけど真実だ。

 

公園の注意書き(1917年)

 

このころ黄浦公園には10この注意書きがあって、その1番目がこれだ。

「The Gardens are reserved for the Foreign Community」
(この公園は外国人が利用するためのものである)

予約席を「reserved seat」といって、それ以外の人が座ることはできない。
この公園は外国人の「reserved」だったから、中国人が利用することはできなかった。
そして4番目はこれ。

「Dogs and bicycles are not admitted」
(犬と自転車は入ることができない)

ということで、1と4をつなげると「犬と中国人は立ち入るべからず」になる。
この表現はなくても、中国人と犬が入場を禁止されていたのは間違いない。
ほかの公園でも中国人は同じ扱いを受けていたから、中国人にとって「黄浦公園の注意書き」は、外国人から侮辱されていた闇歴史を示す証拠だ。(黄浦公園
もし日本が外国に主権を奪われていたら、横浜もこうなっていたかもしれない。

 

作家の豊島 与志雄(とよしま よしお)が租界地だった上海を訪れて、その様子をこう書いた。

上海市内に乞食の数は意外に少い。これは工部局で時折乞食狩りをなすからだという。乞食を見当り次第トラックに積みこんで数十キロ距った田舎に運び出すのである。

上海の渋面 (豊島 与志雄)

*「乞食」(こじき)は「物乞い」のことで、いまでは侮辱語になるからNG。

 

路上にいた物乞いは問答無用でトラックにのせられて、どこか遠くへ運ばれた後、そこで降ろされる。
その後、彼らが野垂れ死にしても、どこかへ行っても上海にいる外国人には関係ない。
なんとかして上海へ戻って来る人もいたというから、地方での生活はもっと絶望的だったのだろう。
でも、こうした物乞いはまだマシだった。
上海にいた難民はもっと悲惨で、たいていの人は眼病と皮膚病にかかっているように見えると豊島は書く。

こうした人たちが公園に入ってきたら、外国人が困るというのは想像できる。
それにしても街中にいたら、トラックで”捨てられる”のだから犬も同然の扱いだ。
「犬と中国人は立ち入るべからず」という表現はなくても、上海にはそんな侮辱的な現実がたしかにあった。
そして21世紀の上海には、中国人が外国人にはアイスを渡して中国人は無視するという別の屈辱がある。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。