【イスラム墓地】多文化共生のカギ、それは日本を尊重すること

 

まえに知り合いのイスラム教徒から、「富士山を見てたいから、ぜひ連れて行ってくれ!」と頼まれたから、彼とその友人の計5人のイスラム教徒を車に乗せて田貫湖と白糸の滝へ行ってきた。
帰りに渋滞に巻き込まれて、かなりクタクタになって浜松市へ戻ってくる。
後日、その中の1人がSNSに富士山や滝の写真をアップして、「雄大で美しくてすごく感動した」とメッセージを書くのはいいとして、この文章がやや気になる。

「Thanks to the Almighty for blessing me with everything I have.」

すべてを祝福してくれたオールマイティ(全能の神)に感謝します。

イスラム教徒を表す「ムスリム」というアラビア語は、神(アッラー)に絶対服従する者といった意味で、ムスリムの頭の中にはいつも神がいる。
そんな信者からしたら、当日には青空が広がって、キレイな富士山や滝を見られたのもすべてはアッラーのおかげ。
でも、日本人の感覚からするとこういう場合、感謝の言葉はドライバーへ伝えるものだから、そこをスルーされると正直イラっとする。
もちろん個人差はあって、ボクに「今日はありがとう」と言ってくれたムスリムもこの中にいた。

 

イスラム教の発想では富士山も Almightyによって創造された。

 

7世紀のアラビア半島でムハンマドという男が洞窟の中で瞑想をしていると、天使のジブリール(ガブリエル)が現れて神(アッラー)の言葉を伝えた。
これがイスラム教の始まりになる。
このムハンマドと聖徳太子は同時代の人物で、イスラム教がアラビア半島に広がっていったころ、日本では仏教が広がっていく。
中東で生まれたこの宗教と日本には、歴史的な接点はほぼ無い。
ヒジャブ(女性が髪を隠す布)をかぶったイスラム教徒の女性を、浜松市内で見かけるようになったのはここ10年ぐらいのことで、この事情はほかの都市も似たようなものだろう。
日本人がイスラム教徒を身近に感じるようになったのは、”最近”と言っていいほどまだ日が浅い。

*トップ画像は花火大会で見かけたムスリムの女性。
浴衣を着た日本人の女性と同じ場所にいるのもめずらしくなくなったし、ヒジャブをつけて浴衣を着た女性も見たことある。

 

日本社会にとっては”ニューカマー”だから、こんな問題も起こる。

河北新報(2023年4月27日)

土葬可能な霊園整備を イスラム教徒ら、石巻市に陳情 東北に受け入れ墓地なし

人が亡くなった後、仏教やヒンドゥー教では火葬、イスラム教では土葬することがお約束だ。
聖典クルアーン(コーラン)によると死者は必ず復活することになっていて、そのためには肉体が必要だから、遺体を燃やすことは禁止されている。
でも、東北にはムスリムを土葬できる墓地がないから、いまは埼玉県などの墓地に埋葬しているが、そのため手続きや費用は大変らしい。
それでイスラム団体の代表はこう訴えた。

「全ての外国人が安心して眠れる場所がほしい」
「家族らに迷惑をかけたくない。誰もが安心して眠れる場所を作ってほしい」

対して石巻市長はこう話す。

「市の公営墓地は条例で焼骨以外の埋葬が制限されている。新たな墓地の建設も財政的に厳しい」

ただ多文化共生社会を重視する観点から、「お手伝いできることがあればさせてもらう」と積極的な姿勢を見せている。
ちなみにいま日本には、土葬に対応した墓地は全国で8カ所あるらしい。

 

同じ問題は九州にもあって、それについて最近こんな動きがあった。

毎日新聞(5/11)

イスラム土葬合意「困っていること理解してくれた」 大分・別府

土葬墓地の建設をめぐって、数年前から対立していたイスラム団体と地元住民が条件付きで合意して、「九州初のイスラム教徒向け墓地は設置に向けて大きく前進した」という。
それでイスラム教徒側はこう話す。

「日出の住民に感謝する。住民にとってきついことだと分かっているが、私たちが困っていることを理解してくれた」

条例で定める基準をクリアしているから、日出町は墓地の建設を認めていた。
でも、反対住民との正面衝突は避けて、仲良くしたいという方針からイスラム団体は無理に計画を進めなかった。
団体側が当初の予定地から場所を変更したり、住民の理解を得ようと話し合ったことが今回うまくいった要因だ。
ただ、墓地と隣接する市の住民はまだ反対しているから、団体はこれから、その人たちともコミュニケーションを重ねて理解や信頼を得る必要がある。

いつものことながら、こうした「イスラム土葬問題」についてネットの意見はめちゃ厳しい。

・終わりの始まり
・困っていることを理解しているんじゃなくて、圧力に負けただけじゃないの
・多文化共生とか言っているやつは文化摩擦にかかるコストを軽視しすぎ。
・日本人が困っててもスルーだけどな
・イスラム教徒の諦めない力はすごいな

 

これからの少子高齢化の日本では、税収の減少などから、いまのような生活を維持できなくなる地域が出てくることは避けられない。
個人的にはどう思っていても、日本政府が今後さらに多くの外国人を受け入れることは間違いないし、それを拒否したら日本の「終わり」が始まる。
多文化共生は日本の確実な未来だから、いまの日本人はそれを受け入れる覚悟と用意をするしかない。
とはいえそれを上から強制しても、激しい反発を引き起こすだけでうまくいくワケない。
イスラム教徒をはじめ外国人サイドにも、日本の文化や価値観への理解や尊重は絶対に欠かせない。

 

「住民に感謝する」と話してはいても、イスラム教徒なら「Thanks to the Almighty」とこれもアッラーの意思と考えたはず。
ムスリムとしてその謙虚さは当然だとしても、日本に住むと決めたのなら、日本人が大事にする「おかげさま」の価値観を重視しないといけない。
相手の立場を尊重し、時には自分たちが譲歩する必要もある。
イスラム団体側が「安心して眠れる場所がほしい」と一方的に訴えて、住民に譲歩させようと考えていたら大分の成功はなかった。
東北の件も、相手にただ要求するだけならうまくいくはずない。
キーになるのは市や住民への配慮や敬意、それと柔軟性だ。

 

 

イスラーム教 「目次」

イスラム教徒が日本人からのプレゼントを拒否 理由は…

【日本人とイスラム教徒】インシャアッラーという“不幸フラグ”

タイ人が牛肉を、イスラム教徒が豚肉を食べない理由:観音様とハラール

【デザートの話】パフェとトライフルの意味、サンデーは日曜日

ホットケーキとパンケーキの違い、アメリカ人の見方は?

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。