20年ぐらい前に中国を旅行したとき、洛陽へ行ってみた。
ここは後漢や三国の魏、北魏や隋などの都だったところで、中国史がギュッと詰まった千年帝都。
そんな街を歩いていると、激安価格の羊の串焼きを売る屋台を発見。
上海や北京などに比べればもともと地方都市の物価は安いし、見た感じ量も少なく、どーせ質の低い羊の肉を使っているんでしょ。
でも、地元の中国人も食べていて安全性は大丈夫そうだから、とりあえず5本ほど買ってみた。
口に入れるとスパイスがよく効いていて、肉の感じはあまりしなかったがまあ美味しいし、また来てもいいかなと。
次の日、日本語ガイド(50代の女性)にお得な串焼き屋を見つけたと話すと、ガイドの表情から笑顔が消えて「そこはもう行かないほうがいいです」と低いトーンで言う。
洛陽に生まれ育ったそのおばちゃんの感覚では、たしかにここでの物価は都会より安いとしても、羊肉の串焼きでその値段はちょっと考えられない。
そういう時は必ず闇(ワケ)がある。
ガイドが想像するに、その屋台は看板に「羊肉」と書いて人を集めるだけで、実は羊の肉なんて使っていない。値段からして豚や鶏でもなく、きっと病気で死んだ生き物やネズミなんかを集めてつくった謎肉だ。
それなら、その値段で売っても利益がでて商売になる。
地方からきた人がお手軽な屋台を始めて、あるていどカネを稼いだら、また別の都市へ行って同じことをするという話はよく聞くし、そういう店なら評判なんてどうでもいい。
その肉を食べている中国人は洛陽人ではなくて、観光で来た人たちだから相場や事情をよく知らない。
中国で「激安」を求めるなら、ちゃんとウラ取りをしないといけない。
でも、外国人観光客にそれはムリだから、「君子、危うきに近寄らず」でスルーしたほうがいい。
圧倒的な説得力に返す言葉がなかった。
昨晩の肉はきっと人体にとって危険な正体不明の肉で、ひょっとしたら肉ですらないかもしれない。
なるほど、これが羊で客を釣って犬の肉を売るという「羊頭狗肉」か。
約2000年前に書かれた『後漢書』にも、「羊頭を掲げて馬輔(馬の肉)を売る」という言葉がある。
日本に住んでるアメリカ人ときょねんコストコへ行って、フードコートでピザを食べながら、むかし中国でそんなことがあったと話すと、
「今いろんな物の値段が上がって、コストコも例外ではない。でも、ホットドッグはドリンクの飲み放題付きで180円のままだ。客を集めるにはコストがかかるから、ここではホットドッグの値段を下げないことでそうしているんだろう。『なんであんなに安いんだ?』と話題になったら、宣伝費としてはかしこいよ。金をかけずにズルして集客をしようとすると、その羊頭狗肉になる」
てなことを言って、続けてこう話す。
「でも、見た目で人をだますテクなら現代でもよく使われている。いまアメリカでは『クリックベイト』が問題になっているんだ」
ネットの記事や動画でアクセスを稼ぐために、ユーザーが「マジか!」と思ってしまうようなタイトルやサムネイル画像を付けておく。
そしてクリックして開くと、クッソくだらない内容の記事や動画があってユーザーをガッカリさせたり怒らせる。
「bait(ベイト)」は英語で「エサ」を意味する。
漁師が海や川に撒き餌(まきえ)をバラまいて魚に食いつかせるように、ネットの釣り師が刺激的なタイトルを付けてユーザーのクリックを誘導する。
そんな「クリックベイト」は日本でよくいう「釣りタイトル」と考えていい。
クリックベイトの内容はかなり誇張されていても、事実と違うフェイクニュースではないからネット上で消されにくいらしい。
でも、「ちょっと待て。それはクリックベイトかも」という認識が広がると、人々はだまされなくなって真実だけが残っていく。
というお花畑みたいな展開にはならないから、名前が違うだけで、古代の「羊頭狗肉」から21世紀の「Clickbait」まで同じようなサギ行為は無くならない。
クリックベイトを使うネットサイトも屋台と同じように、カネを集めたら撤退して、名前を変えてまたサギ行為をするのだろう。
「上半身ハダカの子たちが大集合してアンアン言ってる!」という見出しを見て、思わずクリックしたら大相撲だったーー。
そのぐらいならいいのだけど、クリックベイトは政治的な目的でも使われて、間違った世論を形成しかねない。
「post-truth politics」の概念は輸入品だから、訳すと「ポスト真実の政治」や「真実後の政治」とどこか不自然な日本語になってしまう。
根拠のある客観的な事実よりも、感性や感情、個人的な思想を刺激するような情報によって世論が形成される状況を「ポスト真実の政治」という。
世界的に、これが台頭した原因にクリックベイトがあるという。
英ガーディアン紙の編集長は、「正確さと真実性を犠牲にして安いクリック数を追い求める」ことがジャーナリズムと真実の価値を損なっていると警告した。
Clickbait has also been used for political ends and has been blamed for the rise of post-truth politics. Katherine Viner, editor-in-chief at The Guardian wrote that “chasing down cheap clicks at the expense of accuracy and veracity” undermined the value of journalism and truth.
「羊肉」と看板に書いて客を集めるだけなら、ちょっとした小銭稼ぎで、民主主義社会に危険をもたらすことはない。
同じ“見た目サギ”でも、クリックベイトの危険性はネットがある限り消えないし、きっとこれから脅威を増していく。
「君子、危うきに近寄らず」の危機察知センサーはいまの時代にこそ必要だ。
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